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Ichigo Pudding
「カットモデルになって頂けないでしょうか?」
思いもよらぬ質問の意味を理解するのに
時間がかかってしまい何も言えずにいると、
彼はまた柔らかい表情になり事情を説明し始めた。
どうやらお兄さんはこの近くの美容学校生らしく、
カットモデルを探しているみたいだった。
「すみません、いきなりこんなこと言われても
困りますよね。もう時間が無くて。
…僕の人生がかかってるんです。
もし少しでも興味あればここにお電話ください!」
とメモに番号をササッと書いて私に差し出した。
あまりの勢いに断ることもできず「あ、はぁ。」
と曖昧な返事をしてそのメモを受け取ると
「ありがとうございます!!」と
本当に嬉しそうな顔で笑いかけるので
やってしまった…と思ったが言葉を発する間もなく
次のお客さんがレジに並んでしまい
なす術の無い私は仕方なくコンビニを後にした。
どうしよう…どうしたらいいんだろう。
イチゴプリンと財布だけが入ったぶかぶかの
バッグをぶらぶらと揺らしながら考える。
カットモデルって、つまりは練習台、だよね?
今日初めて会った人にそんなこと言われても。
…面倒くさいし、このまま無視したいけど
番号受け取っちゃったし悪い人じゃなさそうだし
断りの電話だけ後でしないと…。
そう思って歩きだすけれどあの真っ直ぐな
眼差しと笑顔が頭から離れない。
別にカットモデルくらいしてあげたらいいじゃん。
見知らぬ私に声をかけるくらいなんだから
相当困ってるんだろうし練習台になってあげなよ、
ともう一人の自分が私に囁く。
そうだよね、丁度、髪切りたいって思ってたし
無料で髪を切ってもらえるなら一石二鳥だ。
…いや、でも、やっぱり緊張するし…どうしよう。
ぐらぐらと揺れる心のシーソーは何度も何度も
昇降を繰り返し家についても夕日が沈んでも
それがしばらく止まることはなかった。
夜になりようやく電話をかける決心をした…のは
良いのだけど、まずあの人の名前も知らないし、
そもそも私も名乗ってないし、何と言って電話を
かけたら良いのかわからない。
躊躇して通話開始のボタン押せずにいたけれど
しばらく部屋を歩き回り、痺れを切らして
…えええい、まぁ、なんとかなるか!と
震える手で電話をかけると無機質なコール音が
静かに響きはじめた。
プルルルル
プルルルル
プルルルル…
コールの数が増す度に私の心臓の音は激しくなる。
けれどしばらく経ってもそれは鳴り止まず
…なんだ、まだかけなきゃ良かった、と
電話を切ろうとした瞬間に、「はい!」と
声が聞こえて、また鼓動は忙しく鳴り始めた。
焦って携帯を耳元に戻し「あの、」とだけ言うと
「イチゴプリンのお姉さんですか!?」と
すぐにわかってもらえたので安心した。
“イチゴプリンのお姉さん”というワードに
少し笑いながら、控えめに「そうです」と答えた。
私は散々悩んだけれどこの話を受けることにした。
いつもの私なら絶対に断っていただろうけど
今は、何故か初めて会ったはずのあの人の
真っ直ぐな眼差しを裏切りたくないと思った。
その意思を伝えると、電話の向こうから
「え、本当ですか!?
ありがとうございます…!やったーーっ!!」と
嬉しそうな声が返ってきた。
まさかそんなに喜んでもらえるとは思わず
それはまるでプレゼントをもらった
幼い子どものようで、私も嬉しくなった。
そして私達は改めてお互いの自己紹介をした。
「冬野 凛です。
よろしくお願いします。」
「市原 心乃果です。
こちらこそ、よろしくお願いします。」
「コノカさん。素敵な名前ですね。
コノカさんは学生さんですか?」
「はい、中三です。」
何気なくそう答えると5秒程沈黙が流れ
あれ?と思ったとき、電話の向こうから
「えええええええええっ!?!?!?」
と耳が壊れそうなほど大きな声が聞こえてきた。
その後も何度も本当なのか確かめられ、
メイクのおかげで少し大人ぽく見えたかな、
と私は少し嬉しくなったけれど
冬野さんはそれどころでは無い様だった。
「大人っぽいね…驚いた。
同じくらいかと思ってたよ。
この話、ご両親に許可は頂いてる?」
「もらってないけど…大丈夫ですよ?」
両親は毎日多忙で私の事にはあまり興味が
無さそうだから大丈夫だろうと思ったけれど
「大事な娘さんの髪を切らせてもらうんだから
ちゃんと伝えないと、驚かせちゃうよ。
それに…自分で言うのもおかしいけど、
もし僕が悪い大人だったらどうするの!
もうすぐ成人の男が中学生の女の子に
声かけるって怪しすぎるでしょ!」
と冬野さんは頑なに許可を取ることを望んだ。
そして出来れば自らお願いさせてほしいと言った。
正直私はそこまでしなくても、と思ったけれど
あまりの熱量に圧されて、わかりましたと答えた。
リビングにいたお母さんに「少し代わってほしい」と携帯を渡すと、誰?と不思議そうにしながらも
電話にでてくれた。
最初は険しい顔をしながら話を聞いていたけれど、
ものの数分後には楽しそうに話し始めていて、
最後に「娘に手出しちゃだめよ〜」なんて
言いながら嬉しそうに私に携帯を返した。
一体この短時間でどうやってお母さんの心を
開いたのだろうか。恐るべし、冬野さん。
お父さんは聞いているのかいないのか
無反応だけど、反対はしてこなかった。
こうして正式に私は冬野さんのカットモデルを
引き受けることになった。
今日初めて会った人だけど、何故だかもう既に
話を引き受けて良かったとまで思えるような
不思議な引力を持つ冬野さんとの出会いは
いつもの変わらぬ毎日に雷が落ちた程の衝撃で
何かが始まるような、そんな期待に溢れた。
電話を切っても何故かお母さんはご機嫌で、
なんでそんなに喜んでいるのかは謎だけど
こんなお母さん久しぶりに見たかも…と
心の中で冬野さんにお礼を言った。
誕生日のケーキ買ってあるからだして、と
言われ冷蔵庫を開けると存在を忘れていた
イチゴプリンが端っこで眠っていたので
ケーキと一緒に取り出した。
15のロウソクとHappy Birthdayのプレートが
ついた私の好きなチョコレートケーキは
毎年食べてるけどやっぱり美味しいし、嬉しい。
忙しいのに、ありがとう、お母さん。
一方で可愛らしいピンク色のプリンは
とても甘酸っぱくて期待以上に美味しくて、
あの嬉しそうな笑顔が頭をよぎって
なんだか今日は幸せな誕生日になった。
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