ねじれの隣人

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 日曜日、俺は珍しく県内の都市部へ来ていた。 「いきなりごめんな、薄野」 「いや、別に。そっちこそ大変だな。3年ぶり?」 「もっとだよ」 「そうだっけ」  ちょうど出張でこちらへ来ていた学生時代の友人である波多は、スーツ姿で爽やかに笑った。学生時代は前衛的な服を好んで着ていたような男だが、働き始めればデキる営業マンみたいに成り代わっている。セットされた髪も磨かれた靴も、取引先とは滅多に会う機会のない俺とはえらい違いだ。  そうだよな。もう俺たち三十路なんだよな。  今日はこのまま新幹線で帰るという波多は、俺の勤め先が遠くないことを思い出して連絡してくれたらしい。 「薄野はまったく変わらないな」  そりゃ俺たちが学生の頃よりうんとアホでバカな男と同じ屋根の下で暮らしてるからな。俺まで学生気分を引きずってるみたいな気持ちになる。同時に眩しすぎて年齢を思い出すのだけれど。 「老けないなって意味として受け取るよ」 「ははっ変わってなくて安心した」  表情を崩すと、波多は長い指でカップの取手を取りゆっくりと口許に近づけた。伏目になってコーヒーを啜る仕草は、会わずにいた数年のうちに洗練されている。  流石に都市部まで来たら、人もそこそこ多い。日曜日の午後のカフェは、客層も幅広く賑わっていた。心地よいざわめきは聞き慣れた波音のようだが、どうにも何を話せばいいのかわからずに落ち着けない。  この年になれば友達なんてそうできないし、環境が変われば疎遠になるばかりだ。もう波多とも昔どうやって会話をしていたのか思い出せなくなっていた。 「薄野」  波多に呼ばれて顔を上げる。なぜかいたたまれない気持ちになってしまった。そりゃ波多のほうが俺よりもずっと給料はいいだろうし、身なりだってちゃんとしてるし、そう思ってしまうのもしょうがないだろう。  都心で働いて、欲しいものはネットに頼らず手に入る。遊ぶ場所だってたくさんあって、休日は車がなくたってどこにでも行ける。車のバッテリーが上がったってすぐに対応してもらえる。羨ましいわけじゃない。 「ずっと戻ってきたがってただろ。異動願いは出したりしないのか?」  研修後に決まった配属先に発狂していたのも遠い昔に思える。もう三年経ったのだ。  美味い魚に波の音。終業後に一人車を運転して帰る夜道。近所からやたらとおすそ分けしてもらう野菜に果物。柳の笑い声。 「それが、住んでみると案外悪くねえぞ」  寂しさを埋めてくれるものに恵まれたからだろうか。しかしそれも一体いつまで近くにあるだろう。  じ、と波多が見つめてくる。 「そうは言ってもここじゃいろいろ不便だろ」  いろいろ、ね。  お前には関係ないだろ。  机の下で、組んだ足のつま先が触れ合った。わざとではない。熱のこもった瞳から視線を逸らせば、波多の手がす、と動くのが目に入る。勝手に身体が身構えた。居心地の悪さに逃げ出したくなった。 「なあ、深涼。俺たち、」 「にぃサンだ~!」 「うわっ柳!?」  唐突にひょこっと出てきたのは柳だった。ここらじゃ一番栄えている都市だから、柳のような大学生たちには御用達のショッピングモールだったのだろう。柳もいつもよりちゃんと見れる格好をしているから、それなりの用事が入っていたのかもしれない。俺のほうが朝は早く下宿を出たから、何の用事があったのかは知らないが。  波多は急に現れた柳を横目で見て、びっくりしたように二度見していた。そうだろう。美しいだろう、うちの柳は。柳も俺の向かいに座る波多を見てきょとんとしていたが、慌てて波多に頭を下げた。 「わ、ごめんなさい! 邪魔しちゃって、すんません。お話中だと思わなくて。ってかにぃサン今日仕事だったんなら先に言ってよ」 「え、あ」  どうやら波多がスーツを着ているのを見て勘違いしているらしい。それよか俺は柳が人並みにちゃんとごめんなさいが言える常識のある子でびっくりしてるよ。 「あーいや、大丈夫。ごめんね、仕事じゃないからそんなに気にしないで。薄野の……えっと弟、ではないよな?」 「同じ下宿の大学生」 「どうも……」  柳はいつもの大口開けて笑う頭悪そうな顔をすっこめ、持ち前の顔面の美しさを存分に発揮した控えめなスマイルをよこした。ナニソレ。俺そんな顔見たことナイ。 「今日、何かあったのか?」 「教授のお供で他大のゼミに顔出してた。これから懇親会だけど夕飯までには帰るから」 「食べて帰りゃいいのに」  懇親会ってそういうものじゃないか?  俺の言葉に柳はちら、と波多を見やった。薄く開いた唇が何かを言おうと動いたが、俺に向き直るとニッと歯を見せて笑う。 「いや? 待ってるから遅くなるなら教えてね」  今日の飯当番俺だし、と付け足すともう一度にっこり笑って会釈をする。ぱたぱたと去って行く柳が完全に見えなくなった時、波多が嘆息を吐き出した。 「あの子と暮らしてるのか」 「暮らしてるっていうか、まあ下宿が同じってだけね」  華やかな柳がいなくなれば周りの空気もいくらか沈んだように感じた。ちょうど通路に面したこの席では、イベントスペースで風船を配る着ぐるみやそこに集まる子どもたちがよく見える。  ぼぉっとそれらを眺めていれば、波多が俺の名前を呼びかけた。 「波多」  言い切る前に遮る。予想がついた続く言葉は聞きたくなかった。ちら、と伝票を確認する。 「そろそろ出るか」  波多は何か言いたげにしていたが、見慣れない大人びた微笑を見せると立ち上がった。  きっともう、会うこともないだろう。
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