最終話 心機一転のラザニア

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 ぐっと右手の拳を握ると、電話の向こうで澪が嬉しそうに笑った。  澪と話していると少しずつ心が落ち着いてきた。信頼できる人がいるのは、こんなにも心強いことなのだとコレットは実感した。 『実は悠ね、ここ数日店を閉めているの』 「そんな! やっぱりマスコミの人たちがずっと店に来るんですか?」 『それもあるけど、ネットにも誹謗中傷を書かれて大変なことになってるの。悠が何も言わないのをいいことに好き勝手に書いてるみたい』 「ひどい……どうして……」 『一度だけ悠から連絡が来たけれど、迷惑かけてごめんって謝罪されて、それから一切連絡もとれなくなったの。きっと巻き込みたくなかったんだと思う』  悠はそうやって遠ざけることで守ろうとする人だ。  わかってはいたのに、これでは悠が孤独なままだと気づいて、コレットは胸が張り裂けそうだった。 『それで流星くんとも話し合って、今回の騒動があまりにも不自然だから色々調べてもらってるの。何かわかったら、すぐに連絡するからね。コレットさんも、私で力になれることがあったらなんでも言ってね』  そう言って、澪はコレットを励ますこと忘れずに電話を切った。  コレットは胸騒ぎがして、携帯で悠のことを検索することにした。  家に戻ってから、自分に何が出来るのかを考えてばかりいたので、悠のことを調べたりはしなかったのだ。  新島悠という名前を入れると、検索候補には熱愛や浮気、スキャンダルなどと単語が表示されている。  恐る恐るニュースサイトのページを開き、その文章を読み進めると、コレットは怒りで手が震えた。 「こんなの嘘ばっかり!」  幼馴染と交際中に別の女性と熱愛。幼馴染とは破局して、浮気相手の女性を従業員として雇って働かせている。  味が変だったので指摘したから返金もされずに、言い訳ばかり。従業員の質が悪い。金額だけは高い。  それに対するコメントにも悪意が満ちていて、見ていられなかった。 「どうしてこんな嘘をみんな信じるの! どう考えたっておかしいのに!」  それも当然かもしれない。誰も新島悠の本当の姿なんて知らないのだ。  コレットは悔しくて、目尻に浮かんだ涙を荒々しく袖で拭った。  すると、ひとつの記事が目に留まった。  それは新島悠の引退時にまとめられた記事のようだった。  そのリンクを押すと、そこにはオセロッツのユニフォームを着て笑顔を浮かべる悠の写真があった。  きらきらと未来への希望に満ちた笑顔だ。  当時のインタビューでは「支えてくれた祖父に、やっと親孝行ができます」とある。 「悠さん」  悠の名を呼ぶ声が震えた。  顔を見ると、やはり会いたい思いが募る。  記事の最初の見出しには「期待の剛腕投手」とある。  二年目には最多奪三振を獲得、大きな怪我もなく翌年も同じタイトルを獲得している。  順風満帆に見えたが、去年の試合中に右手に死球を受けて骨折。  腕に後遺症が残り、プロを引退することを発表する。  それとほぼ同時期に祖父が亡くなり、プロ引退と共に洋食屋の経営を引き継いだ、とある。  突然野球を失い、その瞬間親代わりだった祖父が亡くなった当時の悠の心情は察するに余りある 「好きなことができなくなるのは、どれほど辛いことだったんだろう……」  すぐには受け入れられない現実に追い討ちをかけるように、大切な家族を失って、どれほど心を痛めたことだろう。  悠は洋食屋が「唯一の心の拠り所」と言っていた。  店やレシピを守るのは、悠自身の心を守ることと同じだったはずだ。  あの店を潰させたりしない。
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