最終話 心機一転のラザニア

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「悠さん。私は家に戻ったあと、ディマンシュのキッチンで一時的に働いていたんです」 「ディマンシュで? それはすごいな」  悠はフライパンからにんにくを取り出し、牛乳を入れながら驚いたようにコレットに視線を向けた。 「ここに戻って来るまでに腕を鈍らせたくなかったからです。これ以上悠さんに失望されないためにも、私がやれることはそれだけだったから」 「コレット……」 「ディマンシュでは学ぶこともたくさんあって楽しかったけれど……やっぱり悠さんの隣で作る料理が一番楽しい!」 「ははっ、それは俺の台詞だよ」 「え?」 「こんなことを言えば、お前に失望されるかもしれねぇが」  悠は水分が飛んだフライパンの中に、カットトマト缶とケチャップ小さじ二杯を入れながら言った。 「お前を家に帰してからの俺はひどかった。マスコミの声なんて無視して、いつも通りにやるつもりだったのに料理が作れなくなったんだ。この味で良かったのか、素材選びはまちがっていないか、何ひとつ自信がもてなかった。あの時ほど、料理に向き合うのが怖いと思ったことはなかったよ」 「悠さん……」 「俺も、コレットの隣で作る料理が一番楽しい」  コレットは感極まって、後ろから悠の腰に抱きついた。  「危ないだろ」と注意しながらも悠は笑っていた。 「コレット、そっちのソースは大丈夫か?」 「はい! いまから仕上げます!」  コレットは名残惜しげに体を離して、ベシャメルソースの鍋の前に戻って来た。  鍋からローリエを取り出し、ザルで小麦粉三十グラムをふるい入れたらざっと混ぜて中火にかける。  牛乳五百五十ミリリットルを三回に分けて入れたら完成だ。 「じゃあ、ラザニアを形成しましょう!」  耐熱皿を用意して、一番下にまずベシャメルソース、次にミートソース、ラザニアをのせていく。下ゆで不要のラザニアを使用し、耐熱皿の形に合わせてぱきりと割って敷き詰める。 「もう一度ベシャメルソース、ミートソース、茹でておいたほうれん草、ラザニアの順番に入れて、空気を抜くように軽く押さえてください」 「了解」  悠はコレットの指示通りにその工程を何度か繰り返して皿のぎりぎりまで重ねた。  最後にミックスチーズとパルメザンチーズをたっぷりかけて、ラザニアを戻すために常温で二十分おいたら、二百二十度で予熱したオーブンで二、三十分ほど焼く。  しっかりと焼き色のついたラザニアが完成した。  早速悠がラザニアにナイフを入れて、スプーンですくって皿に取り分けてくれた。ラザニアのミルフィーユの間からミートソースとベシャメルソースがあふれ出す。  中から覗いているほうれん草の緑が食欲を刺激した。 「いただきます!」 「いただきます」  コレットはフォークでラザニアを一口大に切り分けて、ふうっと冷ましてから食べた。  アツアツのチーズとソースの旨みに、もちっとした触感のラザニアが堪らない。 「ん~! 美味しい!」 「これ美味いな」  悠もまた満足そうにうなずいている。  新メニューとしてはじゅうぶんの出来だ。 「きょうはまだ提供できないが、心機一転の気持ちを込めてこのメニューを近々出そうか」 「はい!」  コレットが気合いを入れるようにぐっと右手の拳を握ると、悠が同じように拳を握って突き出すので、コレットは嬉しくなってこつりと拳を合わせた。  開店時間が近づいていた。
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