右に曲がった訳

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 家に帰ると、弘さんはさっそく寝室にこもり、夕食が用意できるまで一度も出ることはなかった。  もう慣れてしまった当たり前の行動なのに、今日は何かがひっかかる。  乾いた洗濯物を畳んでいても、食器を洗っても、トイレ掃除や床掃除をしていても、晩御飯のミートソースパスタをつくっていても、頭の中はエメラジョジョーンのあの可愛らしい店員さんと、それを見ていた弘さんの横顔ばかりを思い出してしまう。  なぜだろう。なんでこんなに気になっちゃうんだろう。  このままでは夜も考え込んで眠れないかもしれないから、問い詰めてしまうのが一番良い。  家内を守る者への睡眠妨害のリスクはなんとしてでも潰させねばならない。  夕食に用意したミートボールパスタを完食し寝室に戻ろうとした弘さんを、「デザートあるから食べない?」と引き留めた。  リビングのソファーに夫を座らせ、緑茶と豆せんべいを出すと、「え…デザートってこれ?」と反抗期の中学二年生男子みたいな顔を向けてくる。 「顎が強くなるからよく噛んで食べてね」  妻が可愛い笑顔をお見舞いすると、夫は渋々ながら豆せんべいへ腕を伸ばした。  私も弘さんの隣に座り、緑茶に息を吹きかけてちびちびと飲み始める。 「ねえ、弘さん。エメラジョジョーンにいたあの女の人って知り合いなの?」  訊いた途端、弘さんの口から豆せんべいの豆がいくつか勢いよく飛び出してきた。  がっふんげっふん、がほぐほげはっ、と私を唖然とさせるほどの咳をするので、よっぽど動揺したと見える。
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