ダンス・エンカウンター

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 遥かに広がる宇宙空間の中で独り、私は陽気なダンスをシャカシャカと踊っていた。  真空から身を守る装備もなく、無重力に翻弄されることもなしに、手足を振り回しながらふうふうと呼吸を荒げる。本物の宇宙では不可能であろう自由自在ぶりに、私は興奮気味だった。  ウェブで公開されているこのVRアプリケーションは、宇宙開発に関わる企業や公的機関が収集した観測データをベースに、実際の宇宙の光景を可能な限り再現したものらしい。  宇宙開発は急速に発展しているし、近頃では宇宙観光事業も定着しつつある。とはいえ私のように金も伝手もない人間にとって宇宙はまだ遠い場所だから、仮想空間で体験できるツールの存在はありがたかった。  身に着けたトラッカーは一世代前の旧式だけれど、現実の私の動作を仮想宇宙の「私」へと正確に反映してくれている。人型のアバターが惑星の周囲をふらふらと歩いたり、宇宙ステーションの外壁に寝転んだり、星々の光をスポットライトにして踊ったりする様子は、傍から見るとちょっとシュールかもしれない。とはいえこの宇宙には私しかいないのだから、人目を気にして行動を控える必要はなかった。  大仰に指を突き出し、腰をひねって足を不規則に回転させる。二人組のコメディアンがたびたびコント中に披露するこのダンスは、今若者を中心にじわじわと流行しつつある。ダンス自体のコミカルな楽しさと、生身のまま宇宙で踊るという珍奇な状況の組み合わせが、私の心をいつになく昂らせていた。  思うさま全身を動かし、私は最後までダンスを踊り切った。満ち足りた気分で息を吐き出す。その時不意に、視界の端に動くものが見えた。はっとして視線を向けると、私ではない人型のアバターが、ゆらゆらと体を左右に揺らしながらこちらを見ていた。  高揚していた思考が凍りつき、羞恥を思い出した頬が熱くなる。このインスタンスには自分以外入れないよう設定したはずだけれど、間違えたのか不具合なのか、いつの間にか公開設定になっていたらしい。 「あの、えっと、これはですね……」  しどろもどろにつぶやいたけれど、チャット機能がないから相手には聞こえない。動揺してウネウネとくねらせた珍妙な手つきだけがきっちりと反映された。  自分の行動について言い訳もできず、おどけて誤魔化すこともできない。もう逃げるしかない、と私はメニューを開いて退出ボタンに手を伸ばした。  ボタンを押す直前になって、ずっと棒立ちに近い姿勢のまま体を揺らしていたアバターが、手足を大きく広げて四方八方に動かし始めた。  トラッカーの性能が良くないのか、全身がずっと小刻みに震えていて、関節はところどころ変な方向に曲がっている。動きも硬くぎこちないけれど、よく見てみるとどうやら、眼前のアバターは先ほどの私と同じダンスを試みているようだった。  アバターの視線が意味ありげにこちらを捉えている。「一緒に踊ろう」と伝えたいのか、あるいは「あんたのダンスはなってない。手本を見せてやる」とでも主張したいのか。勝手な想像をしてみると頬の熱が少し引いて、安堵と可笑しさの交じった吐息がふっと漏れた。  知らない誰かの動きに合わせて、私は再びダンスを踊り始めた。元々コンビ用の振付だからか、二人で踊るとしっくりくる。向こうのアバターは相変わらずぷるぷると振動しながら、ヒジやヒザを大回転させているけれど、動作そのものは段々と柔らかく楽しげになっていくように見えた。  私たちは時間を忘れて踊った。本物と同じくこの仮想宇宙にも音はない。それでも相手の足音や息づかい、陽気な歌声や笑い声が今にも聞こえてくる気がした。  共に踊るアバターが突然ぴたりと動きを止めた。つられて私も踊りを止めてしまい、足がもつれて尻餅をついた。体を打ち付けた宇宙空間は自宅の床の感触がした。  ふらふらと立ち上がりながら、静止したアバターに目を向ける。指先を宇宙の彼方へ高々と突き出した姿勢のまま、手を振っても近づいても全く動かない。ずっと続いていた小刻みな振動も止まっていた。  しばらく待ってみたけれど、アバターは二度と動かず、誰かが改めてインスタンスに入ってくることもなかった。  何らかのトラブルによって、正常でない形で接続が切れたのかもしれない。私はため息を吐いた。どこまでも続く広大な宇宙空間が、先ほどまでより少しだけ、静かすぎる場所に思えた。  それから長い間、私は毎日のように仮想宇宙でダンスを踊った。ぎこちないアバターと再会することは結局できなかったけれど、ダンスの技術と滑稽味はめきめきと向上した。オリジナルのダンスを考案するようになり、大きなコンテストで喝采と爆笑をかっさらって、宇宙ステーションで開催されるイベントに招待されるまでになった。  いつかあの人にまた会えたら、キレにキレた私のダンスで大ウケさせてみせよう。  ほとんど空想じみた、けれど希望に満ちた思いを抱いて、私は遥かに広がる宇宙の中で独り、シャカシャカと陽気に踊り続けた。 ○  加速する宇宙開発の末に、人類は自分たちと異なる知的生命体と遭遇した。  両者の生態上の共通点はそれほど多くなく、個体間のコミュニケーション手段も異なっていた。そのため当初は意思の疎通に苦慮したが、人類のネットワークへの接続に成功した経験がある個体が現れたことで、状況は改善に向かい始めた。  その個体は人類の言語の一つを習得していた。身体構造の差異からぎこちない発話ではあったが、翻訳ソフトウェアが認識できる程度の正確さを有していた。 「あなた方の文化について、私は多少の知識を持っています。たとえば、友好の挨拶として、このような動作を行います」  その個体はそう告げた後、人類でいう腕に似た器官を高々と掲げ、人類でいう脚に近い器官を不規則に回転させ、人類にはない扇形の器官を小刻みに振動させた。  人類側の接触担当者たちは呆気に取られた。一定の差異やぎこちなさはあったが、その個体が行った動作は、かつて一世を風靡した二人組コメディアンがコント中に披露していたダンスだった。  困惑して立ち尽くす担当者たちの中で、一人だけ満面の笑みを浮かべた人物がいた。  その人物は踊る個体の前に進み出ると、タイミングを合わせて同じダンスを踊り始めた。息ぴったりに舞い踊る両者を目の当たりにして、人類側の担当者たちは、そして恐らくは相手側の担当者たちも、更に困惑の度合いを深めるほかなかった。  周囲の戸惑いをよそに、両者は軽快に全身を動かした。互いへの意思をコミカルなダンスに乗せて、遥かに広がる宇宙の中でふたり、シャカシャカと陽気に踊り続けた。
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