アンダーリモートコントロール

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 会社事務所 「皆さん、おはようございます。本日もご苦労様です。ご存知のように当社は、明日よりリモートワークの試行期間となります。慣れないことも多いでしょうが、皆さんのご協力をお願いします。毎週月曜日の午後にだけ出社いただき、ソーシャルディスタンスを取りながら、全体ミーティングを行いますので、その点もご理解いただければと思います。」  部署の人数は十二人。それほど多くない。私は紅一点だ。 「今日はリモートワークの準備が整い次第、順次早めに帰宅されますようお願い致します。まぁ、買い物などもあるでしょうし。それでは。」  いくらデジタルの世の中だと言っても、実際は紙の仕事が多い。持って帰る資料だけでもそこそこありそうだ。 「美咲くん。ちょっと。」 「はい、なんでしょうか?」 「君の携帯だが・・。」 私はデジタルには疎い方だったし、あまり興味がなかった。 「おそらく、君の古い携帯だと支障が出る可能性大だ。パソコンも会社にあるだけと聞いているが。今時珍しいよな。」  部署の人たちは新しい携帯やタブレットを買い替えては自慢していたが、そんなお金があるんだったら、私はファッションや化粧品、そして美味しいものにつぎ込んでいる。 「はい、・・。」 「特別に、新しい携帯を支給するよ。」  上司は、えーっと、と言いながら机の引き出しを探っていたが、見つからないのか突然電話をかけ出した。 「あ、総務? あの社員用の携帯だけど・・。そう・・。じゃ間に合わないな。わかった、なんとかする。」  腰を上げた彼は、鍵の付いている棚から薄いビニールにくるまった黒い化粧箱を嫌味のない薄笑いを浮かべながら取り出した。 「これは、中間管理職用だが、リモート期間中だけ貸与しよう。開けてみてくれ。どうせ、使いこなせないだろうし。」  余計なお世話だ。箱を開けると携帯にしては結構な大画面の筐体が黒光りしている。 「最新のOSスペクター7が入っている。立ち上げて、指紋認証をしてくれるか。」  よくわからない。悔しいが恥ずかしながらも手伝ってもらう。 「リモート会議用にアプリが入っている。その登録もしてしまおう。ニックネームと暗証番号を入れて。」 「ニックネームでいいんですか?」 「ここは小さな部署だし、どうせ息が詰まるんだ。あんまり硬いのもな。」  シャルネと入れて、暗証番号を09・・・と。 「最低でも暗証番号は数字と英文字を混ぜろよ。それと、顔写真も撮っておけ。」  人前で恥ずかしいけど、カシャっと自撮りした。 「え?」  画面の中の私は想像以上に美しく撮れている。思わず、自分自身に見惚れてしまった。 「最近のカメラは本当にいいだろう? 本人以上だ。」  また一言多い。しかし、嫌な気持ちは何処かに行ってしまった。なるほど、他のみんなが携帯に夢中になるのがわかるような気がした。 「それと、これもつけておけ。」  渡されたのは携帯の保護ケースだった。無骨で重い。 「裸じゃダメなんですか?」 上司は両手を広げた。 「一応、会社の備品だからね。傷をつけられても困る。しかし、これをつけることによってバッテリーの充電は週一回。つまり会社に来たときくらいでいい。パワーバンク込みの相当優秀なケースなんだ。あのテーブルに充電パッドを置いておくから。」  そうですか、と言いながら携帯に重いカバーを着せた。 「ほら、なんだっけ、ロボホンみたいだろ?」  カバーには折りたたみ式の足が付いていて自立した。ちょっと滑稽だが、じーっと見つめると愛着が湧いてきた。 「心配するな。産業スパイ対策としてプライバシーはしっかり管理しているから。」  セキュリティーに自信があるのだろう。口元が微笑んでいる。   自宅  家まで同僚が送ってくれた。 「いいなぁ、最新の携帯。しかもスペクター7。俺のは6だけど7になってからAi装備だからね。」 「それってなんだっけ?」 「なんとかに真珠だな。」 ケラケラと笑っていた。  玄関の前に携帯を立ててセルフタイマーで自撮りしてみた。 すごい! 自動的に3枚も撮って、全てサイズが異なる。しかも、美しい。目もつぶっていない。ベストなタイミングで撮れている!   今まで馬鹿にしていた自分を忘れたように、自宅のいろんな場所で自撮りをした。そう、背景を考え、自分のアングルはどこが一番素敵かとか考えながら。でも、その携帯はいつでもどこでも私を綺麗に撮ってくれた。 「今までのとは天と地の差ね。時代遅れにならなくてよかったわねぇ。」 夕食を準備しながら、母もびっくりしていた。やっぱり一言多いけど。 「でしょ。目で見るよりも美しく撮れるの。簡単に。」 機械音痴の私が自慢している。 できた夕食を撮ってみたら、雑誌の一ページみたいになった。 「Aiってすごいのかもしれない。」  すっかり虜になってしまった私は、その晩、色々試してみた。 画面は大きいと言ってもパソコンほどではない。しかし、携帯で文字を書くのが遅い私でさえ、パソコンなんてもういらないのかもしれないと思った。  次の朝、机の上に置いたつもりの携帯が見当たらない。少し慌てて台所に行くと、充電中の古い携帯の隣に置いてあった。すごい。バッテリーの容量はほとんど変わっていない。 「おかあさん、人のものを使うときは一言断ってね。」 「はぁ?」 「これ、一応会社のものなんだから。」  遅めの朝食を済ませるとリモート会議の時間だ。上司の顔が写っている。 「どうだ、新しい携帯は。」 「すごくいいです。ありがとうございます。」 「まるで使いこなせている感じだな。大丈夫か?」 「好きこそもののなんとかです。」  私の変わりように上司も少し呆れているようだった。  嫌だと思っていたリモートワークだった。しかし、同僚の目を気にしなくていいのは気が楽だった。更に、買い物以外は毎日閉じ込められる自粛生活だったが、私にはむしろ自由にさえ感じられた。  会社事務所 月曜日には会社に行った。  今までの職場は様変わりしていた。一人ひとりの灰色のデスクが均等に離され、それぞれがアクリルボードで囲まれている。それはまるで無機質な碁盤の目。整然としてはいるが、好きにはなれなかった。まるでロボット軍団の一員になるような感じだった。  携帯を充電パッドに置いた。キュイーンと音を立てて、管理番号のようなものが表示された。 「帰るまでには満タンだよ。」 「あの、結構写真撮っちゃったんですが。」 「大丈夫だ。大容量でしかもAiがメモリーを最適化するはずだ。公私混同なんて私の方からは言わないから。まずは慣れることが肝心だよ。」  出社時間はたったの3時間。帰宅の際にエレベーターの前で声をかけられた。 「あ、あの、シャルネさんですね?」 「ええ。あなたは?」  初対面の男は私に目を合わせなかった。伸ばしている手に私の好きなキャラクターのキーホールダーがぶら下がっている。 「ど、どうぞ。」  躊躇していると、彼は私にそれを握らせてそそくさと去っていった。何が起きたのか理解できなかった。  その週は不思議なことが多かった。会社内の知らない人たちからメールやメッセージがたくさん入ってきた。知らない上司から私宛に夕食の誘いとか、週末にゴルフにお供してもらえませんかとか。それまで経験したことがなかったことが色々と起こりだしたのだ。リモートワークが増えた分多くの社員が、或いはそれ以外の人たちが自由な時間ができたのが原因かもしれないけれど、合ったこともない人から誘いを受けるってどういうことなのだろう。私自身はSNSなんかやっていないし、第一やろうとも思わない。それなのに。  自宅  それに、不思議なのは、置いたはずの携帯がいつの間にか何処かに移動していることが何回かあった。母に聞いても知らないという。整理整頓はしっかりしている方だと自負しているのだが。  私は自分の撮った写真を一つ一つチェックした。相変わらず美しい。が、 「あれ?」 自分の記憶にない写真が所々にある。まるで第三者が撮ったような。? 「あ、ああ!」  被写体は私・・・。それはまさに、盗撮! 反射的に携帯を壁に投げつけた。変な音を出していろんな画面が浮かび出している。 「こ、これは・・。」  同僚が映っている。パソコンでゲームに没頭中。スワイプすると、別な同僚が美味しそうにアイスを食べている。さらに別な同僚は・・見てはいけないものを見てしまった。勝手にいろんなものを映し出している携帯を鷲掴みにして、袋に包んでゴミ箱に捨てた。  全部、全部見られていたんだ。何から何まで。震えが止まらなかった。 気分が悪くなって、早めにベッドに入った。  夜中。 変な音で目が覚めた。ズズ、ズズ・・。 寝返りを打つと、そこには捨てたはずの携帯がこちらを向いて仁王立ちしている。 『あなたのプライバシーはしっかり管理しています。』 そう喋ったかと思った瞬間にフラッシュが光った。 「キャーッ!!」 掛け布団をひっくり返してべッドから落ちた。 「起きなさい!」 母親の顔が見える。 「相変わらず、すごい寝相ね。」 私は大きなため息をついた。寝汗がすごい。 「ゆ、夢か。」 「ほら、明日からリーモートワークになるんでしょ。早くしないと遅刻よ。」 「私の携帯は?」 「いつものように台所で充電中よ。」  会社事務所 部署の朝礼で上司が言った。 「明日からのリモートワーク用にみなさんに会社のタブレットを配ります。」 微笑んでる上司の口元の金歯がキランと光った。                              終わり
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