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「まあ、そうだろうな……。」
中学入試当日の翌日。十六時過ぎに学校から帰ってきて受験結果がポストに投函されていることを確認した俺は、その薄い封筒を手に重い足取りで玄関に向かった。
封筒が薄いからと言って不合格とは限らない――。聞いたことはある言葉だが、封筒の中身を見ずとも結果は俺自身が一番想像がつく。俺は家族に報告する前に封筒を破り、紙を引き出した。やはり――。
わかっていたのに、想像できていたのに背負っているランドセルの重さが倍になったような感じがする。言いたく、ない……。そんな思いが脳裏をかすめた。
だが、余計なことを思い出して胸の中がぐちゃぐちゃになる前にさっさと報告を済ませていつもどおりの俺で過ごそうと思い、覚悟を決めて玄関の扉を開けた。
ガチャリと音がして扉がゆっくりと閉まる。閉まったときから、カウントダウンが始まっているような妙な圧迫感があった。
「ただいま」
玄関先で声をあげると、パタパタと足音がして母が二階から降りてきた。てっきり一階にいると思っていたので突然の登場に若干焦った。
「どうだったの?」
俺の手に開封済みの封筒が握られていることを目ざとく見つけ母は言った。
「不合格、だった」
俺は、努めていつもと変わらない口調と同じようにさらりと言って退けた。
試験会場を後にする時、普段とは打って変わって無口だった俺の姿を目の当たりにしていたはずの母もこの結果は驚かないと予想していたのだが――。
母は耳をつんざくような叫び声を上げた。
「え、ちょっと待てそんなに驚」
最後まで言わせずに母はヒステリックな声で早口に続けた。
「あのねえ、あんたのためにお母さんどんだけ苦労したと思ってるのっ。塾の日はお弁当作ったり、資料を集めたりしたのよ。
塾代だって年間百万以上もしたの。受験料は、受かるかどうかもわからないのに一万円も払ったわ。貴翔なら合格してくれると思っていたからできたことなのよ。
まったく、お兄ちゃんも行ってたし合格おめでとうって言いたかったのに……。」
まるで子犬のようにキャンキャン浴びせられる言葉に、さすがに俺も反論しようと口を開くが声を出させずに母がため息をついた。
「あーあ、お金と時間の無駄だったわね。」
その時、一瞬時間が止まったような気がした。お金と時間の、無駄。この一言は俺を一撃で打ちのめすに値した。
俺にだって言い分はある。試験当日に散々プレッシャーかけてしかも罵倒してきたのは誰だ。なんだよ、俺が中学受験したのは代々同じ中学に行くためか。
そんな反論が喉元まで出かかっていたが、それはすっと腹に逆戻りした。
鼻の奥がツンとして、母の言葉が頭の中で繰り返される。お金と時間の、無駄。努力の無駄。学校を休んだ時間の無駄。友達と遊べなかった時間も、無駄。
――今まで積み重ねてきた努力も、不合格という一言でぜーんぶ水の泡、か。そうだよな。いくら勉強してもどうせ受からなかったんだからな。兄貴と、父さんと、それから爺さんと同じ学校に行けなかったんだからな。
「そうだよな無駄だよな。どうせ、受からなかったんだからな」
俺は氷のような声で言い放った。さすがに言い過ぎたと思ったのか、母が慌てた顔をして口を開きかける。
知るか。
予想外の結果に台詞を用意できていなくてどうせ本音が飛び出したんだろう。
床の木目がぼやける。一度深呼吸をして、俺は何も言わずに背を向けた。そして、俺と兄の二階の部屋への階段を一歩一歩踏みしめるようにして上り始めた。
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