ホワイト・ドロップ・アウト

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 車の不調は父が色々と見てくれた。夫と同じようにエンジンをつけたり、アクセルペダルを踏んだりしている。実際に車も走らせてみたが、見たところ何もおかしな様子はないと言う。 「運転するには大丈夫だと思うが、気になるなら整備に出したほうがいい」 「はい……ありがとうございました」  夫が深々と父に頭を下げる中、姉はじっと後部座席を見つめている。その視線の意図が読めなくて、なんだか怖い。  恐怖心のあまりに姉に声をかけずにいると、やがて姉が後部座席を見つめたまま静かに告げた。 「明日……みんなで一緒にお母さんのお参りに行こう。お寺なら神聖な場所だし、この人たちも諦めて帰るべき場所に帰ってくれるはず」 「それって……どういう意味?」  たまらず姉に問いただす。その声が震えたのは、決して寒さのせいではなかった。  口を噤んだまま、姉が後部座席のドアを開ける。それと同時にルームランプが光った。  ぼんやりとした灯りでも、異変はすぐにわかった。車の背シートが色が変わるくらい濡れているのだ。よく見ると座シートも楕円形にびっしょりと濡れている。それが三箇所に渡ってそうなっていた。まるで、全身びしょ濡れの人間がそこに座っていたみたいに。 「まあ……あの世とこの世の狭間だからね。二人が迷い込んでしまったのと同じように、あの世の人もこっちの世界に入れることだってあるよね」  姉には最初から見えていたのだろう――私たちが白い世界で見た、あの影が。 『境界』からは脱出できた。だが、奴らから逃れられた訳ではなかったのだ。  全身の力が抜け、その場で両ひざを折ってひざまずく。ゆらゆらと体を揺らしながら手招きしている奴らの姿が脳裏から離れない。そんな絶望してうなだれる私を、未だに後部座席に座っているであろう影たちは嘲笑っているような気がした。  ――数日後、例の峠で雪に埋もれた無人の乗用車が発見されたらしい。  あの日に私たちの前を走っていた車かどうかは定かではないが、あの世界に迷い込んだ犠牲者がいないことを祈るばかりである。 (了)  
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