天秤は真紅に傾ぐ

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 町を薄墨色に染める冬の朝は、この上なく静かで穏やかだった。立ち並ぶビルの中でも一際立派な建物の屋上に、少年がひとり佇んでいる。上下黒のスウェットに白いパーカー姿の少年は、ビル風に身震いひとつせず、柵のすぐ内側で真っ直ぐに前を見据えていた。  あどけなさと凛々しさが同居する瞳は、顔を出したばかりの朝日に照らされてぬらりと光る。栗色の髪は向かい風に煽られ激しく揺れた。まるで昼下がりの微睡みのように脱力したその表情は、悲しみを纏っているようだった。  少年は手すりに手をかけ体を持ち上げた。骨張った白い手首に筋が浮かび上がる。足を無理やり柵の上に引っかけ、ずるずると尻をこすりながら向こう側へと辿り着いた。  つま先がはみ出る屋上の隅。その下に広がるオセロのようなタイルの模様は塵のように細かい。少年は寒さと恐怖をものともせず、柵の内側にいたときと何ら変わらない様子でやはり前を見つめていた。  少年は何かを呟く。つんと通った鼻筋にアーモンド型の目、桜色の小さな唇。丁寧に拵えられた人形のようだった少年の頬は熱を帯び、柔らかく微笑んだ。発せられた言葉は水浅葱のビル風にかき消され、その意味を失った。
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