天秤は真紅に傾ぐ

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「はじめは父さんだった。九歳のある冬の日、父さんの纏う色が変わった。温かなサーモンピンクに混じったオリーブと藍。それが表すのは後ろめたさ。少し様子を気にしてみれば、余所に女がいるってすぐに分かった」  涙の跡を頬に残しながら淡々と語る黒い少年。白い少年はただ黙って聞くことしかできないようだった。 「一年も経たないうちに母さんにも別の男ができた。当てつけなのか、寂しさと惨めさをごまかすためなのかは分からない。ただ、その頃から、異常にふたりが優しくなったのをよく覚えてる。暗黙の了解として注がれた愛は、心地よかったか?」  白い少年も同じように涙を流した。雫は白い床に落ちて水面のように波打った。黒い少年はその様子をただ見つめる。そのまま震える唇で苦しそうに言葉を吐き出した。 「『僕』に優しくして、誰もが憧れるような家族でいれば、浮気がばれることはないって思ったんだよ。離婚するのは、きっとふたりにとっては簡単だ。でも、『僕』のことを愛していたから……。『僕』は、ふたりを縛り付ける枷なんだよ」 「……知ってるさ。君も僕も、同じ景色を見てきたんだから。それでも僕は、信じていたかったんだ。全てが歪んでしまう前の、向日葵色の幸福な日々を」 「君の気持ちは痛いほど分かるさ。でも、僕たちにはもう、純粋な愛なんて信じられないだろう? ……だから『僕』は、死ぬんだ」 「……そうだね。……こんな目がなければ、信じられたのかもしれないけどね」 「そうかもしれないね。人の心なんて見えない方がずっと楽だったはずだ。……でも、この目があったから、ふたりの望む幸福を知ることができたんだよ。もうこれ以上、苦しめることはないんだ」 「確かに、そうとも言えるね」  白い少年は自嘲気味に笑う。不意に言葉が途切れた。  僅かな間を挟んで、ふたりは瞳の奥に秘められたものを見通すように見つめ合った。白い少年は目を細めて花が綻ぶように笑い、言葉を紡ぐ。 「僕は君の希望。おめでとう、君の願いは叶うよ」 「僕は君の哀切。ありがとう、君のおかげで今日まで生きてこられた」  ふたりはくしゃりと笑い、ベビーブルーの涙を零した。  次の瞬間、モノクロのタイルには赤い花が咲き乱れる。柔く暖かい朝日に照らされ、一層鮮烈に輝く。屋上には白いパーカーだけが残されていた。
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