レモン

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レモン

“恋” その言葉を知ったのは幼稚園くらいの時だった。 同じ組の女の子たちが先生にはしゃいでいたのを思い出す。 「○○先生かっこいい」 「○○先生とけっこんする」 意味も分かっていないけど単語だけを知っていたあの時代、私は少女たちの会話の中で、“恋”をしていること知った。 「まーちゃんは先生のことどう思うの」 母に聞かれた。 しかし私には、先生は先生で、それ以上でも以下でもなかった。 首を傾げて「知らない」と言ったら、母は困った顔をして、 「そう」 とだけ言ったのをよく覚えている。 今考えるとあの顔は、年の割に妙に冷静な私を少し怖がっている顔だったのだと思う。 しかし、私はやはり、なぜ同い年の少女たちが異性に(しかも年上に)対してはしゃいでいるのか、本当によく分からなかった。 そしてその時期と同時に好意を持たれることがあるという事も知ったのだが、勿論それもよく分かっていなかったので、嫌悪感しかなかった。 その時も、母は困った顔をしていた。 幼稚園を卒園した私は、今の依音のように天真爛漫な子供になる。元々活発ではあったんだ。 男女関係なく遊び、勉学に励み、成長していった。 その矢先、とある流行が生まれる。多分、小学4年生になりたてくらいの時。 “告白” 今まで男女関係なく遊んでいたのに、突然、男と女に分けられて遊ぶようになった。 それだけでも衝撃だったのに、いつの間にか誰々が好きとか、付き合うとかそんな話になっていった。 「友達じゃないの?」 疑問に思って友人に聞いたら、 「友達だけど好きだしカッコいい」 と言われた。 「まーちゃんは誰が好き?」 その問いに、私は固まってしまった。 誰も恋人にしたいと思わなかったのだ。 でも、ここで「いない」と言えば変な空気になることは分かっていた。 だから、最初に思い出した隣の席で優しくて運動が得意な男の子の名前を出したんだ。 すると、友人たちから歓声が上がった。 「いいじゃーん」 「かっこいいよね」 「ヒューヒュー」 囃し立てられて、少し照れたな。 でも、私はそこからだった。 次の日から、何故かその男の子が輝いて見えた。 キラキラふわふわ。 他の子たちはそうではないのに、彼だけ発光していて直視できないし、彼がいる方の半身が熱くなっていった。 なにこれ。 教科書も出せずに固まっていると、 「どうしたの」 と彼に言われて飛び跳ねた。 「だい……じょぶ」 ロボットみたにカチコチ動き、脳みそが沸騰しそうになるのを堪えるのは大変だった。 その休み時間、みんなに聞いた。 「恋をすると、どうなるの?」 「頭がふわぁってなる」 「私は何でも出来そうな気持ち」 「ダメダメになっちゃう」 「楽しくて無敵!」 答えは様々だったけど、みんな楽しそうだった。 なるほど、これが恋。 幼稚園の時の疑問、そして、恋に対する確信はここで生まれた。 恋は理屈ではない、感情なのだ。 私は、彼に恋をしている。 ということは、これが初恋。 脳内で彼が歯を出して笑っていた。 胸が熱くなって頬が緩む。 無敵だしダメダメだし馬鹿みたいになるけど、とても楽しい! その感情だけだった。 それが私の初恋。 でも、私は結局告白なんてできなくて、多分彼にもバレていない。そして、彼への恋心は席替えと共に消えていった。 そう、消えたのだ。 私の恋は所詮、友人たちの話に合せて作った偽りだった。 自分の感情は何て簡単なのだろうと呆れたものだ。 嘘に塗れて感情だけが浮足立っていて、当時はキラキラしていたけど、思い出す記憶の初恋はとても酸っぱい。 もう少し、大切にしたら良かったと後悔する。 彼に告白したり、何か特別な事象を起こせば良かった。 記憶の中の彼は横顔で、名前すら思い出せなくて悲しい。 でも、恋をしている当時は、本当に楽しかった。 付き合う想像だけでお腹はいっぱいになったし、世界が夢のように輝いていた。 それだけは嘘ではないと信じている。 だから依音には、どうか大切に恋をしてほしい。 いつまでもずっと記憶の片隅で輝ける初恋になることを、依音の背中に向かって願う。 「ねえ、ママってチョコレート作れる?」 「え」 依音が突然振り向いた。 「あと少しでバレンタインじゃん。みんなに渡そうと思って」 「みんな」 「友チョコ作りたい」 あぁバレンタイン。 そういえば、来週がそれだ。 「作れるよ」 「良かった!作りたいから教えて!ね?」 「もちろん」 嬉しそうに立ちあがった依音は、そのままお風呂に入る準備に取り掛かり、鼻歌を歌いながら風呂場に向かった。 依音は自分で行動を起こそうとしている。 頑張れ。 頑張れ、依音。 この応援はきっと、親での私と子供のときの私の、二人分だと思う。
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