風が吹けば傘屋が儲かる

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     重要文化財にも指定されている、増上寺の三解脱門。  その赤い門には今、空から白いものが降り注いでいた。  紅白のコントラストが美しく映える中、黒いコートを着た男が、同じく黒色の傘を差して歩いている。 「今日は風が強いから……。これも、かなり広く飛ばされるのだろうな」  空から降るものに想いを馳せながら、男は、傘を斜めに傾けていた。  それでも白いものは傘に降り積もり、しかも溶ける様子はない。当然だろう、これは雪ではないのだから。  男はふと、この異常現象が始まった日のことを思い出す……。  三年前。  黒雲に覆われているわけでもないのに、なんとなく薄暗い日のことだった。  突然。  地面から生えた黒い手の怪物が、東京タワーのてっぺんを、二本の指で(つま)んだのだ。  当時、近隣住民であるはずの彼は、まだ会社で働いていたので、その現場を直接目撃したわけではない。彼が事件を知ったのは、帰り道で配られていた、新聞の号外だった。  そこに掲載されていた、一枚の写真。  まさに『地面から生えた』巨大な影のような手が、親指と中指で、東京タワーのアンテナを挟んでいる。 「いや、これ……。指と指とが触れ合っていないし、東京タワーにも触れてはいないから、厳密には『挟んで』はいないぞ?」  写真を見た瞬間、記事本文との細かい差異が気になる彼だったが。  おそらく「今から掴もうとしている」あるいは「ちょうど指を離した」タイミングだったのだろう、と理解することにして。  周囲に意識を向けると、同じく号外をもらった人々が道端に足を止めて、口々に何やら騒いでいた。 「何これ、本物?」 「いや、合成写真に決まってる!」 「障子に写した影絵みたいだな。それと重ねたんじゃないの?」  ああ、影絵とは言い得て妙だ。  彼も、そう思った。  子供の頃に遊んだ、影絵のキツネの手つき。あれとよく似ていたのだ。  影絵では三本の指で口を形作っていたが、これは親指と中指のみ。それにキツネならばピンと耳を突き立てていたが、だらんと(しなび)びている。違いは、ただそれだけだった。  そして合成写真云々に関しても、彼は納得してしまう。  俯瞰気味の東京の街並みを背景にした、巨大な怪物。  そんなものは本来、現実感のない光景のはずだが……。  映像では何度も、似たようなものを見ていたのだから。物心ついた頃から、何度も何度も。  巨大変身ヒーローが活躍する特撮番組とか、大怪獣が暴れまわる特撮映画とか。そこに出てくる映像として。 「ああ、そうだ。人間って、無意識のうちに、見慣れたものと比べてしまう生き物だから……」  その時、ふと男は思い出したのだ。90年代初頭に見た、テレビのニュース番組のことを。  確か、何度目かの湾岸戦争だったはず。おそらく米軍の提供映像なのだろう。最新鋭の軍事兵器が敵に襲いかかる様が、驚くほど克明にテレビで流されていた。  ただし、その主役となったのは、戦車や戦闘機ではなかった。人々が目を見張ったのは、目標に向かって正確に飛んでいくミサイルたち。  それも夜間の映像が多かったため、ミサイルは単なる光点に過ぎなかった。暗い中で光が飛んでいき、ターゲットを破壊する……。  初めて見るはずなのに、人々は既視感を覚えて。  彼らは口にするのだった。まるでテレビゲームのようだ、と。 「あれと同じだ。また一つ、空想の世界が、現実に追いついたのだ……」  最初に出現した黒い手の怪物は、わずか数分で消えたのだという。  誰かが影絵と称したように、本当に影のようなもので、実体はなかったらしい。  その場の目撃証言から考えても、新聞に掲載された写真を見ても、巨大な腕は桜田通り辺りから生えていたはずだが、周囲の民家にも商店にも、物理的な影響は皆無だった。  政府機関だけでなく、マスコミも必死になって調査したが、怪物の正体は全くわからず……。  そして、初出現から三日後。  黒い手の怪物は、再び現れた。  最初の時と同じ場所から生えた腕は、やはり東京タワーの上に手をかざし、同じような手つきをしてみせたのだが。  今度は、東京タワーのアンテナには興味を示さなかった。  代わりに。  親指と中指を擦り合わせて……。  東京上空に、パラパラと白い粉を撒き散らしたのだ!  その姿は、後に誰かが指摘したように、まるで料理をしているお母さんが「お鍋にお塩をひとつまみ!」とでも言っているかのようだった。  実体のない影のような怪物のはずなのに、そこから降ってくる白い粉には、ふわふわサクサクとした感触があった。  それを「まるで雪のようだ」と例える者もいたが、問題の白い粉は、冷たいわけではない。  むしろ、怪物の不気味さと合わせて「これは死の灰だ!」と主張する者も出てきた。  ただし、特に放射能は検出されなかったらしい。色々と調査した結果、政府は「人体に悪影響はありません」と公式発表したくらいだ。  とはいえ、これに関しては「人類には認識できないような、未知の悪性物質が含まれている可能性は否めない」という立場の科学者も多かったようだ。(おおやけ)の場には出てこなかったが。  その後。  短い時には数日、長い時には一ヶ月くらいの間隔をあけて、怪物は現れ続けた。  そして毎回、空から粉を降らせた。  大半は白い粉だったが、青だったり赤だったり紫だったり緑だったり、雪とは程遠い色の場合もあった。  場所は、いつも決まって東京タワーの上空。だから近辺には、カラフルな粉が降りしきるようになったのだが……。  それで人々がその場所を避けたかというと、そうでもない。  むしろ逆に、野次馬が押しかけるようになった。  東京のシンボルとしてのお株をすっかりスカイツリーに奪われていた東京タワーが、かつての栄光を取り戻したかに思えるほどの――いやかつてないほどの――賑わいを見せた。  しかし。  やがて人々は、飽きてしまう。慣れてしまう。  いつしか「東京の一部の地域では、色々な『粉』が降ってくる」という事態も、大衆に受け入れられて……。  それが、東京の日常となった。  ただし。  最初の白い粉は、ふわふわサクサクだったのに対し、色によって、微妙に感触は違っていた。  中には少し硬い粉もあり、一番ひどいのは紫色。怪我をするほどではないが、直に肌に当たれば痛いくらいだった。  特に風が強い日には、これが広範囲に撒き散らされるので……。  東京の街を出歩く時には、傘が必須になった。  それも、普通よりも少し頑丈な傘が。 「ああ……」  これまでの三年間を思い起こしていた男は、ふと、自分の傘に目に向ける。  男が使っていたのは、謎の粉向けの特製傘ではない。昔ながらの普通の傘だった。 「少し傷んできたな……。そろそろ買い替え時かな?」  愛着ある道具を手放すことも想定しながら、少し悲しそうに呟く男。  そして。  自分の回想を締めくくるかのように、彼は口にするのだった。 「結局……。怪物が出たことで最も儲けたのは、傘業界だったのかもしれないな」 (「風が吹けば傘屋が儲かる」完)    
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