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旱魃の間,祀り事を任された集落の若者たちは常に緊張に押しつぶされそうになり,年寄りたちは懐かしい先祖の霊に苦痛に歪んだ笑顔をつくり,はやくそっちに連れて行ってくれと冗談交じりに酒を呑みながら夜を過ごした。
陽が昇りそれぞれが家に帰ると,玄関先で先祖以外の霊を引き連れていないように全身に粗塩を撒き,脚に着いた湖底の泥を家に持ち込まないように履物をビニル袋に入れて硬く口を縛り,丁寧に脚を拭いてからようやく家にあがった。
「おはよう,婆ちゃん。今日もみんな朝までダムにいたんだ? はい,塩。それと,袋」
「おはよう。なんだ,起きて待っててくれたんか?」
裕司は腰の曲がった祖母の手を引いて,玄関の前で祖母が靴を脱いだり履いたりするときに使う椅子を出した」
「ありがとね」
「はい,サンダル」
祖母がゆっくりと椅子に座り,足をタオルで拭いている後ろ姿を見ている裕司が言いにくそうに声をかけた。
「なぁ,婆ちゃん。死んだ爺ちゃんも,ずっとあそこにいたんか?」
「ああ……爺ちゃんいたよ。裕ちゃんは爺ちゃんに会ったことないからわからんだろうけど,爺ちゃん,あそこにいる爺ちゃんは,若い昔のころのままで羨ましかったよ……」
裕司はまだ若くして命を失った祖父のことは遺影でしか知らず,祖父の名前すら憶えていなかった。
そんな祖父のことが気になったのは,ダム湖に沈んだ祖先の霊がみな若いと聞かされ,年寄りたちはダム湖に沈んだ墓地にはおらず,みな高台の整備された墓地に移動させられていた。
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