夏萌片 先輩と冷汁

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「小鳥遊先輩、お邪魔します」 本来なら出迎えてくれるまで待つのが礼儀なのだろう。 だけど一回それをしたときは「次からは勝手に入って大丈夫だよ」なんて危機感のない返事をされたものだからそれに倣う事にしている。 それに何かあっても即座に駆けつけることもできるかもしれない。 玄関で草鞋を脱いで少し長い渡り廊下を道なりに歩いていくと、途中の襖の向こう側から風斬り音が聞こえてくる。 少しだけ開けて向こうを眺めればそこには胴着を付け竹刀を振るう小鳥遊先輩がそこにいた。 「ーーーーーー」 ただ無言で、しかし一縷の乱れもなくひたすらに、目の前の虚空に向けて竹刀を振り下ろす。 その姿は凛々しいが同時にどこか寂しくもある。 女性というだけで師範になれず代理どまり、それ以上を許されない。 正式に継ぐことも敵わず門下生も来ないこの場所で唯々絡繰り人形のように同じ行いをし続ける。 その在り方に寂しさを覚えてしまうのはなぜなのだろう。 「ーーーーーー」 思案に耽っていたらいつの間にか構えを変えていたみたいだった。 竹刀を唾に添え、体を深く沈みこむように構え、視線はただ一点を凝視する。 (抜刀術?) 納刀から鞘走りの勢いをつけたまま相手を一刀のもとに切り伏せる剣技。 極めれば瞬きの間に勝負が決すると言われたそれが今まさに目の前で行われようとしていた。 そして一瞬風が吹いたような音を合図に、いつの間にか竹刀は振りぬかれていた。 気を抜いていたわけでもない、目を離していたわけでもない、それでも見えなかった。 (......本当に惜しいな) この才能が性別だけで日の目を浴びずに埋もれていくことが哀れだった。 もし小鳥遊先輩が男だったならこの道場の在り方だって変わったのかもしれない。 いや、だから奴は小鳥遊先輩を選んだのかもしれない。 女だてらに刀を振るい、裏で人々を守らんとする私たちの仕事に選んだのは。 「あれ?夏萌ちゃん?」 そうやって考えていたら小鳥遊先輩が私に気が付いたみたいだった。 「もしかして今来たばっかり?ごめんね何にも用意できてないんだよ」 ぱたぱたとせわしなく動くその姿からは先ほどまでの気迫など微塵も感じさせなかった。 少しだけ毒気を抜かれたような気がして肩をすくめながら言葉を返す。 「いえ大丈夫ですよ、それよりもお風呂入ってきてください」 「えー大丈夫だよ、まだ疲れてないし」 「汗だらけですし少しは気にしてください、その間にご飯作っちゃいますから」 それでもなお駄々をこねる彼女を見て思う、もしかしてさっきまで見ていたのは都合のいい幻だったのかもしれないと。
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