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結婚式の二か月前
佳純から連絡があったのは、結婚式の約二か月前だった。休日、自宅でごろごろしていると、電話がかかってきたのである。
固定電話の子機を取って画面を見たが、知らない番号だった。
「はい」
百合は電話に出た。危ない電話だったら怖いから、名前は言わなかった。
しかし、相手はゆったりとした話し方で、第一印象は怪しくなかった。
「初めてご連絡させていただきます。佐藤さんのお電話で間違いないでしょうか?」
百合はその丁寧さに少し心を許した。
「はい、間違いないです」
「そうでございましたか。わたくし、今度青木信吾さんと結婚させていただくことになった、新山佳純と申します」
青木信吾と結婚! その強烈な言葉にそのときは佳純の名前なんて頭に入ってこなかった。
「は、はあ……おめでとうございます」
百合は何とか形式的なお祝いの言葉は言えたけれど、よく分からない反応になってしまった。ところが、一方の佳純は気にしない様子で切り出した。
「急で申し訳ないのですが、実は佐藤さんにお願いがあって」
そう言われて、詳しい内容も伝えられず、百合はカフェに呼び出された。場所は百合と佳純の家のちょうど真ん中ぐらいである。どうやら、お互いの顔馴染みには知られたくない話らしい。
百合が店に着いたときには、もうすでに佳純は席に着いていた。こっちこっちと手招きされて、百合は彼女の正面に座った。窓際のソファ席である。
「すみません、遅くなってしまって」
百合はそう言いながら腰を下ろした。
「いえいえ。こちらこそ、急にお呼び出ししてしまって。お忙しいのに」
佳純は飲んでいたコーヒーのカップをテーブルに置いた。そして、ちょうど通りかかった店員にコーヒー一つ、と注文した。
「あ、コーヒーで大丈夫でした?」
佳純は気付いてすぐに訊いてきたのだが、幸い百合はコーヒーが好きだったから、大丈夫です、と答えた。その瞬間、百合の彼女に対する印象は怪しい人から、気遣いができる人に大きく転換した。
しばらくすると、百合のコーヒーが来て、佳純は話を始めた。
「あなたは信吾と以前、お付き合いをされていましたよね?」
彼女の話はよく分からないところから始まったなあ、と百合は思った。
「ええ。十年も前の話ですけど」
「実は、信吾はまだあなたのことを忘れられないみたいなんです」
「え?」
佳純は淡々と言った。だから、百合も思わず聞き返してしまった。
「うーん、忘れられないというより、思い出したという方が当てはまるかもしれません」
佳純は百合の思いとは少し外れたことを言ったが、おかげでやっと情報が頭に回った。
「嘘でしょう? わたしたちは別々の大学に進んでから、一切会っていないのに」
「信吾からは初恋で初めての恋人だと伺っています。初めては特別ですから、そういうことも」
佳純は詩的に言った。
「困ります。もう終わったことなので」
「だから、今日はお願いに参りました」
そう言うと佳純は、少し上目遣いで百合を見つめた。
「結婚式当日、彼を説得してほしいんです」
「説得?」
「はい。招待状は彼の方から送るようにわたしが仕向けます。百合さんは当日来ていただいて、忘れるよう、彼を説得してください」
佳純は熱意を持って、百合に説明した。いつの間にか下の名前で呼んでしまっていることも気付いていない。
「でも、信吾は式の前にわたしに会いに来てくれるかしら?」
百合も冷静ではなかった。敬語なんて忘れている。
「きっと行きます。信吾にとって、今回の結婚も初めてですから」
静かに放たれた佳純の言葉には妙に説得力があった。そのせいで、百合もこのおかしな計画に乗ってしまったのである。
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