消滅

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 翌日、昨日とは違う朝を迎えた。東京のマンションの1室とは違う。どこか懐かしい気持ちだ。三郎は大きく息を吸い込んだ。あの時と同じく、とても空気が澄んでいる。東京とは全然違う。  三郎は外を見た。外は相変わらず寂しい。あの時は人々が行き交っていたのに、全くいなくなった。この集落はいつから芳江1人になったんだろう。  芳江はまだ眠っている。幸せそうな表情だ。だが、どこか違和感がした。息の音が出ない。鼻も口も動かない。 「芳江・・・、芳江!」  芳江は起きない。ただ幸せな表情で眠っているだけだ。  三郎は芳江の手を握った。だが、冷たい。どういう事だろう。三郎は首をかしげた。 「冷たい・・・。死ん・・・、だのか?」  三郎は芳江が死んだと信じられなかった。昨日まであんなに元気だったのに、起きないなんて。何があったんだろう。  三郎は車で隣の集落まで行った。そこには診療所があるはずだ。芳江を見てもらわねば。ひょっとしたらまた起きるかもしれない。昨日、せっかく再会したのに。  約20分後、三郎は診療所に着いた。だが、まだ診療所は空いていない。誰も診療所の前に並んでいない。だが、これは一大事だ。早く来てほしい。  三郎はこの隣にある院長の家にやって来た。その家は、周りに比べて大きく、立派だ。駐車場には院長が使っていると思われる赤いベンツが置いてある。  三郎はインターホンを押した。早く出てきてほしい。芳江の命を守るためにも。 「ごめん下さい、院長さんいますか?」  来たのは妻と思われる女だ。まだ起きたばかりなのか、眠そうな目で、パジャマを着ている。 「あっ、少々お待ちください」  妻は家の中に入っていった。三郎は焦っていた。早く来てくれ。芳江が危ないんだ。  すぐに、パジャマを着た中年の男がやって来た。この診療所の院長だ。まだ眠たそうな表情だ。 「どうしたんですか? 診療所はまだ開いてませんよ」  院長は戸惑っていた。まだ開いていない時間なのに、何事だろう。 「中嶋芳江さんが起きないんです」  それを聞いて、白衣を取りに、院長は部屋に戻った。一刻も早く助けなくてはならない。さもなければ、死んでしまう。  三郎と院長は急いで芳江の家に行った。この集落に行くなんて、もう何年ぶりだろう。昔はけっこう人が住んでいて、よく診て回ったのに。  院長もこの集落の昔の事を思い出した。昔はあんなに賑やかだったのに、今では全くと言っていいほど人がいなくなった。噂によると、起きないという芳江はこの集落の最後の住人だったはず。もし、死んだとすれば、その集落は限界集落から消滅集落になってしまう。  30分後、2人は芳江の家に着いた。2人は焦っていた。芳江を死なせたくない。何としても救いたい。  家に入った院長は、芳江の様子を診た。院長は胸に聴診器を当てた。だが、音がしない。芳江は死んでいた。 「死んでますね」  三郎は肩を落とした。昨日、久しぶりに再会できたのに。昨日、あんなに元気だったのに。信じられない。 「そんな・・・、昨日やっと再会したのに」  三郎は涙を流した。戦時中に会った芳江の姿が蘇る。あの時は美少女だった。いつか結婚したいと思った。だが、東京に戻り、それぞれの道を歩んだ。そして、最後の夜、再び再会した。もっと互いの事、話したかったな。でも、言い切れないまま、永遠の別れになってしまった。  そしてまた、1つの集落が消えた。  それから2か月後、三郎は再び東京で暮らしていた。東京に住む芳江の子供が喪主を務め、通夜、告別式、四十九日を終えた。  また結局1人暮らしだ。寂しいけど、俺はこの部屋で最期を迎えたい。  突然、インターホンが鳴った。一体誰だろう。三郎は立ち上がり、のぞき窓から誰なのか見た。芳江の子供の1人、隆太だ。  三郎は入り口のドアを開けた。きっと芳江の死を知らせてくれた縁で来てくれたんだろう。三郎は遠慮なく家に入れた。 「先日はありがとうございました」 「いえいえ」  三郎はお辞儀をした。隆太もお辞儀をした。  2人はダイニングに座り、話をしていた。2人がダイニングに座るなんて、何年ぶりだろう。三郎は少し笑顔をのぞかせた。 「あなたが伝えてくれなければお母さんは孤独死していたことでしょう」 「そんな。たまたま来ただけですよ」  三郎は立ち上がり、リビングから外を見た。その向こうには山が見える。その向こうに芳江の集落がある。だけど、芳江の死によって、その集落は消えた。 「また1つ集落が消えたか」  三郎は考えた。今、日本各地に限界集落がある。それらはいずれ、消滅していくんだろうか? そして、消えた集落は自然へと帰るんだろうか? 芳江の集落のように。 「あなたと芳江さんはどういう関係なんですか?」  隆太は気になっていた。三郎と芳江はどういう関係なのか? どうやって知り合ったのか? 「戦時中、東京から疎開してきた時に知り合った初恋の人なんです。東京に戻って以降、会った事はなかったですが、死ぬ前日、久しぶりに会ったんです」  隆太は驚いた。芳江が戦時中にこんな初恋をしていたとは。あれからあった事はあるんだろうか? 「そうなんですか?」 「はい。あの頃は賑やかだったんですよ」  三郎は昔の集落を思い浮かべた。あの頃は賑やかだった。なのに、今ではただの山林になってしまった。こうして消えた集落は自然に帰っていくんだろうか? 「芳江さんも言っていたんだが、集落はやがて消えて、自然に帰るのかな?」 「私も最近考えてるんだが、そうかもしれないな」  三郎は最近考えている。消えた集落は、誰もいなくなると、自然に帰っていくんだろうか? そして、誰もいなかった頃にまた戻っていくんだろうか?  隆太も三郎とよく似た事を芳江から聞いていた。集落が消える事なんて、考えた事がない。だけど、芳江にそう言われると、真剣に考えてしまう。どうしてだろう。 「あと何年で芳江の待つ天国に行けるのかな?」  三郎は考えた。自分は今も生きている。だけど、いつかは死んで、天国に行く。そこでは芳江が待っている。自分はいつになれば、芳江の待つ天国に行けるんだろうか? 「わからないね」  隆太は全く考えていなかった。自分はまだまだ40代だ。そんなこと考えた事がない。人生はまだまだ長い。その中で、様々な出会いや別れを経験していく。そして、人生を終えた時、別れた人々と再会するだろう。 「最後にもう一度だけ三郎さんに会えて幸せだったんだろうな」  三郎は芳江の事を考えた。天国で芳江は三郎をどう見ているんだろう。東京のマンションで暮らしている三郎の姿を見て、何を考えているんだろう。自分の晩年の孤独と重ね合わせているんだろうか? 「きっとそうかもしれないな」 「いつになったらまた会えるのかな?」  三郎は空を見上げた。芳江は空から見ているんだろうか? いつになったら芳江に会えるんだろうか? まだ来てほしくない。もっと生きたい。そして、人生を全うした時、天国で芳江と互いの人生を語り合いたい。それは果たして、いつになるんだろう。
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