消滅

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 三郎は東京の多摩ニュータウンに住んでいる。ここに住んで半世紀近く。多くの家族が住んだニュータウンも徐々に高齢化が進み、若い者は少なくなった。高度成長期、多くの人々が暮らしたニュータウンはすっかり寂しくなった。いくつかあった小中学校は統廃合が進み、数えるぐらいになった。まるであの時の賑わいが嘘のようだ。  三郎は東京の23区の生まれだ。小学校に入学した頃から太平洋戦争が勃発した。日本は苦しみながらも戦っていたが、明らかに負けは見えていた。  小学校3年になった頃、三郎は長野の山里に疎開することになった。最初は抵抗したが、国の命令には逆らえない。三郎は行くしかなかった。  終戦を迎え、東京に戻ると、焼け野原の中で生活した。最初は苦しい日々が続いた。だが、日本が復興に向かっていくと、生活も豊かになっていった。  そして、就職して結婚した時、三郎はニュータウンに引っ越した。ニュータウンで3人の子供に恵まれ、幸せに暮らしていた。  だが、時は流れ、3人の子供は独立し、家を出て行った。妻と2人だけの生活になった。たまに子供たちが帰ってくる時以外はとても寂しい日々が続いていた。  数年前、長年付き添った妻に先立たれた。ついに、三郎は1人になった。孤独な生活の中で、かすかな楽しみは3人の子供との電話だ。  ある夜、三郎は家でテレビを見ていた。この時間は若者向けのバラエティ番組が多い。つまらない番組ばかりだ。結局三郎はNHKの番組を見ていた。自分はこれが一番落ち着く。  突然、電話がかかってきた。おそらく子供からだろう。三郎は嬉しそうに受話器を取った。 「もしもし」  三郎は笑顔を見せた。長男の智だ。 「おじいちゃん、元気にしてる?」 「うん」 「うちに住んだらいいのに」  またこの提案だ。以前から、智は1人で暮らす三郎に、自分の家で隠居するように提案してきた。大好きな孫と一緒にいられるし、何かがあった時も安心だ。 「そんなこともう言うな! ここで死にたいんだ!」  だが、三郎はその提案に耳を貸さない。苦しい生活の中でようやく手に入れたマンションの部屋を離れたくない。この部屋が好きだ。ここで一生を終えたい。 「そうか・・・。まぁ、おやすみ」 「おやすみ」  三郎は受話器を置いた。隠居の話なんて、もう二度と聞きたくない。俺はここで死にたいんだ。  三郎は壁掛けの時計を見た。いつの間にか午後9時を過ぎている。ニュースでは長野のとある限界集落が取り上げられている。その限界集落に住んでいる人は、年老いた女性ただ1人だ。その1人がいなくなった時、限界集落は消滅集落となる。  その女はインタビューに答えている。この集落が賑わっていた頃の様子を語っている。すっかり寂しくなったこの集落にも、賑わっていた時期があるようだ。その時の写真を出し、取材に来た人に見せている。 「あの女の子」  三郎はその取材の様子を食い入るように見ていた。三郎はその女に見覚えがあるようだ。  実はこの限界集落は、三郎の戦時中の疎開先で、その女、芳江に会った。まさか、今になってインタビューに答えているとは。三郎は驚き、そしてまたあの女に会いたいと思うようになった。  三郎は窓を開け、ベランダから星空を見つめた。離れてから、何をしていたんだろう。再び出会って、語り合いたいな。  三郎が決めた。明日、芳江に会いに行こう。今、どうしているんだろう。別れてから、どんな日々を送ってきたのか、語り合いたいな。  翌日、三郎は車を走らせていた。目的地は芳江の住む長野の集落だ。戦後何十年も経って、集落はどれだけ変わったんだろう。  高速道路を降りて、三郎の車は国道を走っていた。三郎は疎開でやって来た頃を思い出した。あの時は高速道路がなくて、国鉄とバスを乗り継いでやって来た。あの時は1日近くかかった。でも、高速道路ならあっという間だ。これが時の流れだろうか? そう思いながら、懐かしい風景を思い出していた。  国道を右に曲がり、車は村道に入った。村道は田園地帯の中にある。田園地帯は静まり返っていた。昔はもっと人がいたのに。時代の流れだろうか? ほとんどいない。この集落も、徐々に人が少なくなって、いつの日かいなくなるんだろうか?  田園地帯を抜けると、廃屋の多くある雑木林にやって来た。ここが三郎の疎開先だ。昔はもっと賑やかで、そんなに高い木々が生えていなかったのに。林業が衰退したと思われる。  この辺りは林業が盛んで、この集落のほとんどの人が林業で生計を立てていた。だが、過疎化が進み、今では芳江1人しか住んでいない。芳江は寂しくなったこの集落をどう思っているんだろうか?  しばらく奥に進むと、崩れていない民家が見えてきた。芳江の家だ。辺りは静まり返っている。芳江は外に出ていないようだ。  三郎は車から降りた。すると、芳江が出てきた。誰かが来たのに気づいたようだ。訪問者なんて、何日か前のテレビ取材の時以来だ。 「お邪魔します」  芳江は驚いた。誰だろう。長い年月の中で容姿が変わった三郎に気付いていないようだ。 「どなたですか?」 「三郎です」  芳江は空いた口がふさがらなかった。あの疎開でやって来た三郎が会いに来たとは。もう会えないと思っていた。 「三郎さん。また来てくれたんだ」 「うん」  芳江は嬉しかった。久々に親しい人に会う事ができた。家族はみんな集落を出て、都会に行ってしまった。帰ってくる事はなく、1人で暮らしている。 「あの時以来ですね」  三郎は戦時中の疎開で会った時の事を思い出した。結婚には至らなかったが、これが初恋の思い出だ。 「また会えて嬉しいわ」  芳江も疎開で出会った時の事を思い出した。短かったけど、いい思い出だ。でも、もうあの時の風景には戻れない。みんな集落を出てしまい、廃墟だらけになってしまった。 「もう誰もいなくなっちゃったんだね」  三郎は辺りを見渡した。ここは本当にあの集落だったのかと疑いたくなる。だが、事実だ。ここは確かに疎開で暮らしていた集落だ。 「うん。ここにいた人、みんないなくなっちゃったんだ」  芳江は賑やかだった頃の集落を思い出した。いろんな人々がいて、賑やかだったのに、豊かさを求めてみんな集落を出て行った。そして、私1人になってしまった。 「僕が疎開していた頃はあんなに人がいたのに」 「この集落はやがて消えて、自然に帰るのさ」  芳江は寂しそうな表情だ。集落はすっかり寂しくなってしまった。この集落に住んでいた人々の子孫は今、どこにいるんだろう。誰も伝えてくれない。こうしてこの集落は、人々の記憶からも消えていくんだろうか? そして、集落は自然に帰るんだろうか? 「悲しい話だけど、それが事実なんだね」  三郎は昨日のニュースを思い出した。芳江の気持ちがよくわかる。集落はこのまま消えて、自然に変える運命だろうか? 「今、どうしてるの?」 「高度成長期にできた市営住宅に今も住んでるよ」  芳江は東京で暮らす子供たちの家族の事を思い出した。今頃、何をしているんだろう。全く連絡がない。住みたいけど、この集落が好きだから、離れたくない。自然といい、今まで住んできた家といい、離れたくない。 「へぇ」 「一緒に住もうって孫に言われるけど、いつも断ってる」  芳江はその話に反応した。自分も同じ心境だ。ここで一生を終えたい。生まれ育ったこの集落が好きだから。 「なんで?」 「僕は結局そのマンションで一生を終えたいんですよ」  三郎は昨日の息子との電話の事を思い出した。もう一緒に住もうと言わないでほしい。せっかく頑張って手に入れたマンションを離れたくない。 「そうなんですか」 「最後の1人なんだね」  三郎は辺りを見渡した。半世紀以上経つとこんなにも変わってしまうのか。この辺りはもっと木々が少なかったのに、こんなに少なくなると整備もされずにただ木々が生い茂るだけになってしまった。林業をする人が少なくなると、こうなるんだな。 「うん。私は結局ここで最後と迎えたいんですよ。この集落が好きだから」 「ふーん」  三郎は芳江の気持ちがわかった。ここで生まれ、そして育った。そして、この集落が好きになった。そんな家を離れたくない。三郎は自分のマンションから離れたくない自分と重ね合わせていた。 「昔はもっと賑やかだったのにね。どうしてみんな都会に行っちゃうのかな?」 「そりゃあ、豊かさを求めてだろう」  三郎は生まれも育ちも東京で、東京の事をよく知っている。東京にはいろんなものがあって、とても便利だ。この集落とは全然違う。豊かで、色んな物が買える。そんな豊かさを求めて、人々は東京に移り住むのだろう。 「そうなのか・・・」  芳江は寂しそうな表情だ。東京に行った子供たちは、豊かさを求めて東京に行ってしまったんだろう。これではこの集落が衰退してしまうわけだ。 「今日は会えてよかったわ」  芳江は握手した。まさか死ぬまでにもう一度会えたとは。まるで夢のようだ。だが、それは紛れもなく現実だ。 「俺もだよ」  三郎は泣きそうになった。疎開でやって来た時、三郎は初恋をした。その時の想いでは、今でも忘れた事はない。結婚しても、妻と永遠の別れをした時も。だが、会おうと思った事はない。もう過ぎ去った事だ。今を生きようと思っていた。  その夜、三郎と芳江は共に夕食を食べた。もう何十年ぶりだろう。とてもおいしい。食べ慣れた料理なのに、どうしてだろう。久々に会えたからだろうか? 「あれからどうしてたの?」  芳江は笑顔を見せた。何年ぶりだろう。1人で寂しい日々を送っていた。誰かに会うこともなく、楽しい時間を過ごしていない。誰かが来る事がこんなに嬉しいんだな。 「東京に帰って、大学を卒業したんだ。結婚して、子供をもうけたんだ。でも、子供はみんな家を出て行って、妻に先立たれて、今は1人暮らしだよ」  芳江は今の自分に似ているように感じた。子どもはすでに家を出て行き、帰ってこない。子どもの家で住もうとしない。 「寂しいでしょ?」 「寂しいよ。でも俺はせっかく買ったマンションの部屋で最期を迎えたいんだ」  三郎は時々、寂しさを感じることがある。だけど、せっかく買ったこのマンションの部屋を離れたくない。自分が苦労してお金をためて手に入れた部屋だ。死ぬまで離れるわけにはいかない。 「そうなんだ」  芳江もそうだ。生まれ育ったこの集落のこの家を離れたくない。先祖のためにも。だけど、自分の世代で終わろうとしている。そして、この集落は自然に戻ってしまう。ここに集落ができる前のただの森に戻ってしまうだろう。でも、そこに生きた人々の記憶はこれからもどこかで語り継がれていく。 「とにかく今日はまた会えた喜びを分かち合おう」 「ああ」  三郎は外を見た。疎開でやってきた頃は夜でもとても賑やかだったのに、とても寂しくなってしまった。若い人はみんな集落を出て行き、残った高齢者は次々と亡くなった。そして、芳江だけになってしまった。  三郎は芳江の家で一夜を過ごした。懐かしい。疎開してここで暮らした時と同じだ。三郎は疎開でやって来た時の事を思い出した。あの時の芳江は美しかった。会った瞬間ひとめぼれした。だが、好きだと言えずに東京に戻ってしまった。  忙しさの中で、三郎は芳江の事をいつの間にか忘れていた。そして、別の女性と結婚した。初恋の想いでは、完全に忘れたと思われた。だが、昨日のニュースで思い出した。そして、再び会わなければと思った。自分はもう先が短いだろう。生きているうちに芳江に会わなければ。  その横で、芳江は気持ちよさそうに眠っていた。芳江は幸せそうな表情だ。今日、三郎と会う事ができた。これほど嬉しい事はない。これで悔いなく天国に行ける。
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