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僕が初めて「おめでとう」を聞いたのは、真木からだった。
大学のサークル棟には猫が何匹か住みついている。といっても住処を定めているわけではなく、餌をくれる人間がたくさんいるからよくいる、程度の野良猫ばかりだった。
入学した頃、そのうちの一匹が物陰で息絶えていた。誰かが長老というあだ名で呼んでいたからきっと老衰だったのだろう。
――死んでる。
学内は公道にはならなさそうだ。誰に連絡をしたらいいのだろう。頭の後ろ側が鈍く痛み始める。遠目に動かない猫を見て、僕は立ち止まったまま動けなかった。
その時真木はふいに現れて、僕に気づくことなく、その猫に目を止めた。
近づいてしゃがみ込んで眺めてから、まるで診察のようにぺたぺたと猫に触った。ためらいはなかった。猫はやはり動かなかった。
それから真木は、指の背でその頭を撫でて――
「おめでとう」と言ったのだ。
「と」にアクセントがついた、この辺りでは変わった発音。
時間帯か学生の声はなかった。風も吹かず葉の騒めきもなかった。けれどそれよりも、周囲の音が身を引いたような静けさがあった。
太陽が木漏れ日を作る。その柔らかな光は真木と猫には届かない。
僕はそうっと立ち去ろうと足を上げて――踵が蹴った小石がコンクリートに転がった。
心臓が飛び跳ねる。靴底が地面と擦れた音がして、僕が後ずさったのだと気づいた時にはもう遅い。
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