降り積もるのは何だろう

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 だが、倒産する企業が多い時期において、再就職は容易では無かった。募集をしていても、状況が変わったからと募集を取りやめる企業もザラだった。  そうこうしているうちに、出掛けることする億劫になった。ステイホームが呼びかけられることを言い訳に、家から出なくなった。幸い、コロナ騒ぎのおかげで、家に居ながらにして食糧は手に入る。それも、誰かと対面することすら無く。  会社が潰れて三カ月は過ぎた頃、もう着替えることさえ億劫になった。就職活動の為に着る筈だったスーツは、クリーニングを終えてから一度も袖を通していない。  袖を通していないスーツは、日常生活で汚れることもない。手入れをしないままのスーツに白い埃が付着しても、それを着て向かう場所は今やない。  退職するその日まで、社内の什器をひたすらに片付けた。普段手の届かない場所は様々な汚れが集まり、什器を動かす度に空気の流れでふわりと浮いた。  だが、その汚れすら今は無いだろう。収入の為、ビルオーナーはフロアをクリーニングし、新たな借主を探していることだろう。  あの時は、会社の歴史の長さだけ、汚れも溜まるのだと、そう思った。だが、汚れと言うものは、たかだか数ヶ月ですらこのザマだ。  人の手が入らない建物は徐々に朽ちていくという。ならば、人が働きに来なくなった建物は朽ちるのだろうか?  コロナ倒産が増えて以来、様々なビルが壊されてきた。恐らく、維持するよりも、壊してしまう方が経済的だったのだろう。  人間もそうなのかも知れない。ただ生き続けるよりも、壊してしまう。命の器を壊してしまう方が、社会からみたら経済的なのだろう。  誰にも求められ無くなった人間。誰にも必要とされなくなった人間は、跡形もなく壊してしまう方が良いのだろう。  だけど、壊しきる覚悟も無く、時間は過ぎた。時間だけが過ぎ、貯金は減り、ただ捨てられ無かったゴミだけが床に積もった。  何時から、朝に起きられなくなったのだろうか? 退職直後の生活リズムは、勤務していた時と変わらなかった。諸々の手続きをしている時も、まだ就職活動をしている時も、リズムは維持していた。  何時から、一体、何時から壊れてしまったのか。スーツに埃が付着しても、まだあの時は、耐えていた。耐えていた筈だった。いや、もう限界は来ていたのかも知れない。ただ自覚が無かっただけかも知れない。  自身の崩壊に気付かぬまま、ただ降り積もる埃を見ては見ぬ振りをし、落ちるところまで落ちた。ただそれだけなのかも知れない。
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