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「ゆき」
校舎の中へ入ると前方から声がかかり、聞き慣れた声に雪成は顔を上げた。
「光留」
「光里は宏太のとこ?」
「そう」
「お前まで来たのかよ」
「オレは別件でたまたま」
二卵性の男女の双子の片割れである佐々木光留は姉と違い無愛想な顔で雪成をじっと見つめた。元々表情の読みにくい顔なので、そんな顔で見つめられると怒られているような気分になる。
「なに?」
「泣いてる」
「は?」
「ゆき、泣いてる」
あまりにも自然に頬に触れられたので反応が遅れた。
雪成は慌てて光留の手を払おうとしたが、彼の手は存外力強かった。
「光留」
目尻を擦られ、次いで頭を撫でられる。まるで子供にするような仕草に羞恥と腹立ちを覚え、数センチ上にある光留の顔を睨み付ける。
「桜、ついてたから」
「……」
光留の指先から花弁が床に数枚落ちた。
「お前が宏太を呼びに行かなくてもいいじゃん、あいつどうせ起きないだろ」
「……教授が呼んでこいって言ったんだよ」
これは嘘ではない。昼寝をしている宏太を呼びに行くのは毎回雪成なので、今回も頼まれただけだ。光里がその場にいたら、もしかしたら違ったかも知れないが。
「泣く事もなかっただろ」
真っ直ぐ見下ろしてくる瞳は無感情で、そこに意味を見出だすのは難しい。淡々と事実を告げてくる光留は分かって言っているのか。
だが雪成の心情を分かって言っているのだとしても、余計なお世話だ。
「花粉症なんだよ」
「は?」
「今の時期は勝手に涙が出てくるんだよ」
「薬飲めよ」
「おい」
また手が伸びてきて光留の指先が今度は頬に触れる。
真剣な顔は無表情だから、都合良く心配しているようにも見えるけれど実際分からない。怒っているようにも見えるから。
光留との付き合いは3年になってからだからまだ一年ちょっとだ。いまだこいつの事は分からない。姉は顔に出る性格だから分かりやすいのに、双子と言えどやはり性格は違う。
もう濡れてないというのに、拭うように指先が動く。優しい手付きに不意に泣きそうになった。
「止めろよ……!」
「ハンカチ持ってなくて悪かったな」
「……は?……いいよ、もう泣いてない……」
幸い二人の側には誰もいない。廊下に生徒はいるが近くではないので、二人のやり取りを気にしている者はいなかった。
じっと見つめてくる光留は何か言いたげのようで、でも何も言ってこない。
「じゃあオレ行くから」
「あ、あぁ……」
何だったんだ?という顔の雪成を残し、光留はさっさと背中を向けた。
数歩進んだ所で立ち止まり、顔だけを雪成に向ける。
「オレにしとけばいいのに」
「は?」
「……オレはゆきに起こしてもらえれば直ぐに起きるよ」
「……なんだそれ」
「……じゃあまた」
「……うん」
今日初めての、微かだが笑みを浮かべ光留は背を向けた。今度こそ振り返らず真っ直ぐに廊下を進む。
光留が角を曲がった所まで見つめ、雪成は無意識に止めていた息を吐き出した。
「……なんだよ」
心を揺らされたのはその一瞬だけだった。
あれから何年経っても、光留はたまに会うただの友達でそれは今も変わらない。
ただの戯れ言と片付け、心の奥底にしまい忘れていたのに。
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