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「何かあったの」
「拓海さんのとこに、尚央さんから連絡、来てないですよね」
「来てないけど……、なんで?」
「尚央さん、今朝早く家を出てったきり、戻ってないみたいなんです……。仕事先にも行ってないらしくって……」
「え……!」
尚央――……。
その時。不意にケータイがポケットで震えた。拓海はハッとしてすぐにその画面を確認する。だが、尚央からかかってきたのではない。映っていたのは、知らない番号だった。
「あ、その番号……、赤荻さんです」
千春が覗き込んで言う。拓海はひとまず、通話ボタンを押した。
「……もしもし?」
『早瀬さんですよね。いつもお世話になっております。赤荻です』
「こちらこそ……」
『すみません、うちの、尚央のことなんですが――』
尚央の従兄、赤荻夕とまともに話すのは、これで二度目だった。つい先月、尚央の家へ行った時に、初めて顔を合わせて挨拶をしたのが初見だ。ただし、その時の印象と今、聞こえているこの声は全く別人のようだった。焦っているせいか、やや早口で、口調には明らかに緊張が感じられた。
「尚央のことなら、たった今、桐生くんからお聞きしました」
『そうでしたか……』
「一体、何があったんですか」
『それが……、おれもよくわからなくて……。尚央は今朝、仕事に行ったのだとばかり思ってたんですが、時間になっても戻らないので、職場に連絡したんです。そしたら、今日からお盆休みだったらしくて……』
「つまり、尚央が行き先を言わずに家を出て行って、行方がわからない――ということですか」
『そうなんです。ただ、おれはあなたの所へ行ったんじゃないかと思うんです』
夕の言葉に、ドクン――と心臓が跳ねる。だが、かぶりを振り、笑みを零した。
「どうでしょうね……。おれ、ここんとこ、尚央と連絡取れてないっすから、おれんとこじゃないかもしんないですよ」
尚央が何を考え、どこへ向かったのか。今の拓海には見当もつかない。この数日間、一度も彼と連絡がつかないことを考えれば、少なくとも彼が今、拓海を必要としていないことは明らかに思える。
『そうなんですか……』
「ええ」
『連絡が取れなくなったのは、いつ頃から?』
「一週間前から、ですね」
『一週間前……』
そう言った後、夕は黙り込んだ。何か思い出そうとしているのか、或いはあらゆる可能性を考えているのだろう。拓海も無言で、彼が話し出すのを待つ。ほどなくすると、夕は再び話し出した。
『でも、やっぱり考えられるのは早瀬さんのとこだけなんです。尚央はあなたにすごく会いたがってましたから』
「そうですか……」
『お願いがあります、尚央がもし、あなたを訪ねてきたら――……』
「はい」
その先は言われなくてもわかっている。もし、尚央が拓海に会う為に那須へ来たら、帰るように言ってくれとか、なんとか彼を説得してくれ、とでも言うのだろう。ところが、夕の頼みは、拓海が考えもしなかったことたった。
『あいつの話を、よく聞いてやってください』
「え……。話を?」
『はい。たぶん、尚央が今、一番安心して話せるのも、傍にいたいのも、あなただと思います。よろしくお願いします』
「あぁ……、いや……」
『早瀬さん。尚央が信じて選んだあなたを、おれも信じてます。うちには、その……、頑固なわからずやが一人、いますんで、時々、失礼があるかもしれません。でもどうか、尚央のことを本気なら……、離さないでやってほしいんです、よろしくお願いします……』
夕の声が震えたのがわかって、拓海は頬を緩める。少しだけ、安心したのだ。尚央からいつも話には聞いていたが、どうやらこの男は穂積とは違っている。少なくとも、尚央という一人の人間を、彼の想いを理解しようとしてくれている。
「……わかってますよ。おれは、尚央に捨てられない限り、諦めるつもりありませんから」
『そうですか……』
「捨てられちゃったら、それまでですけどね。それじゃ、仕事に戻ります。何かあったらご連絡しますから」
『お願いします。尚央、ケータイを置いて行ってるんで、電話は繋がらないと思います』
「了解しました」
それには驚きもしない。拓海は通話を切った。
「千春くん、忙しいとこ悪いんだけど、もし尚央がカフェに来たら、すぐ教えてくんない?」
「もちろんです」
「ありがと。よろしくね」
そう言って、拓海は手を振り、千春と分かれ、美術館内に戻りながら、念の為に尚央のケータイにかけてみる。だが、夕の話していた通りだ。やはり通じない。電源が入っていないらしく、留守番電話にすらならない。もっとも、一週間ほど前からずっと同じ状態ではあったが、この事態でケータイに頼れないとなると、さすがに絶望する。拓海は不安で堪らなくなって、深いため息を吐いた。
くっそー……。こんな時に、仕事なんか……。してる場合じゃねえんだっつーんだよ……!
ドクドクと波打つ心臓を、もう今にも吐き出してしまいそうな気分だった。一刻も早く、尚央を探しに行きたい――。その衝動を必死に抑え込む。彼が今頃、何かに悩み、背中を丸めてどこかでひとりぼっちでいるのかもしれないと思うと、胸が苦しくて、どうしようもなく切なくなる。
尚央のことはおれが幸せにするって、絶対、泣かせないって、そう約束したのに……。
「あっ、早瀬。お前どこ行ってたんだよ……」
館内に入ってすぐ、拓海に声をかけてきたのは先輩の蒔田だった。
彼はこの美術館に勤務する従業員でウェディングプランナーであり、忍の恋人でもある。拓海とっては特段、害のない男だが、従業員の中でも極めて真面目な気質を持つ彼につかまると、面倒なことも多い。
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