11 尚央の家出~早瀬拓海~

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「あぁ……、ひょっとして探してました? すいません……」 「ひょっとしてじゃないだろ……、お前は全く……」 「いやぁ、つい、休み過ぎちゃって……」 「しょうがない奴だな。具合でも悪くなったのかと思って、心配したじゃないか」  そう言われた瞬間。拓海はハッとする。蒔田の小言をいなし、うまいこと誤魔化そうとしたが、すぐに腕時計を確認した。時刻はもうすぐ六時になるところだ。閉館まではあと残り一時間。すでに館内の客はまばらだった。拓海は密かに心を決める。 「はは、もうこんな時間だったんすねー……」 「そうだよ……。お前にちょっと頼みたいことが――」 「いやぁ、それが……。なんか今日、食欲なくって……。すげえ気分悪いんですよ……」 「えっ」  こんな嘘を吐いたとしても、気付かれてしまうのは時間の問題だろう。だが、後で何を言われても構わない。今は尚央よりも優先すべきことなんて、拓海にはなかった。もっとも今、ひどい気分なのだって噓ではない。 「熱はないみたいなんですけど、夏風邪だったりして。参っちゃいますよねぇ……」 「早瀬、お前……、本当に体調悪かったのか……」 「隠してたんですけど、さすが、蒔田さんは鋭いなぁ。でも、今日忙しいから、早退とか無理っすよねぇ……。閉館まであともうちょっとだし、頑張るしか……」 「いやいやいや! 具合悪いんだったら、無理しないで帰った方がいい。仕事なんかどうにかなるし、体が資本なんだから」  人のいい蒔田は、拓海を怪しむこともなく慌て始める。そうして、拓海の背中を押して事務室を指差し、促した。 「室長に話して、もう帰りな」 「すいません……」  ほんの少しだけ罪悪感を抱えながら、拓海は愛想笑いをして返す。あまり胸を張って言えることでもないが、嘘を吐くのは慣れている。 「それじゃ、後はお願いして大丈夫ですか……」 「大丈夫、大丈夫。もうだいぶ館内は落ち着いてるし。ここんとこ、忙しかったからな。みんなには俺から話しておくから」 「ありがとうございます……」  弱々しい声で頭を下げ、事務室へ戻る。すぐに室長に話をつけて、挨拶をして、カバンを持つ。角を曲がり、裏口から美術館を出る。駐車場へ向かう途中、どんどん足早になる。早く、早く――。早く、尚央を見つけに行きたい。  ――おれは、あなたのところへ行ったんじゃないかと思うんです。  夕がそう言うのなら、本当にそうなのかもしれない。拓海は彼の言葉を否定しながら、期待もしていた。尚央が黙って出て行かなければならなかったのは、恐らく穂積にも、誰にも、那須へ行くのを止められたくなかったから。何としても拓海に会いにこようと、その一心で、尚央はこっそり家を出たのかもしれない。一週間前、突然、彼がケータイを使わなくなったことについては見当もつかないが、それだってきっと彼なりの理由がある。  でも……、今朝出て行って、まだこっちに着いていないってのは、変だよな……。  今朝、家を出たのなら、そろそろ那須へ着いてもいい頃だ。それに、那須へ来るのなら、彼はきっと拓海の前に姿を現してくれる。そう思いながら、車へ乗り込み、エンジンをかける。  本当に那須に……、おれに会いに来てるんだろうか……。リス……とか、探しに行ってるだけだったりして……。  尚央はただ、今日、いつもよりちょっと長い散歩へ出ただけかもしれない。リスを探しに北鎌倉の辺りを散策しているか、はたまた江ノ島か。拓海に会いたいなんて、実は思っていないのかもしれない。ケータイが通じないのだって、理由なんかなくて、ただ単純に、飽きられてしまっただけかもしれない。これまで付き合ってきた男達と同じように。もうすぐ拓海は振られてしまうのかもしれない。  いや――……。違う。尚央は違う。尚央は違うんだ……。  かぶりを振り、拓海はギアをドライブに入れた。こんな時にネガティブになっている場合じゃない。それに今は、尚央の気持ちがどこへ向いているのか考えるよりも、まず彼を見つけることが大事だ。拓海はアクセルを踏む。車を走らせ、美術館を出る。  尚央に家の鍵は渡してある……。けど、住所は教えてない……。ってことは、家に直接は来れないはずだから……。  拓海は心の中で状況を整理しながら、くねくねと曲がる山道を走り、ひとまず最寄り駅である黒磯へ向かってみることにした。スピードを落とし、歩道を歩く人をちらちらと気にして、その中に背の高い長髪の男が歩いていないか、確認する。だが、それらしい人は見当たらない。  待てよ……。前に尚央が那須に来た時って確か……、那須塩原駅まで迎えに行ったっけ……。 「よし……」  黒磯の周辺で尚央を探すよりも、新幹線の那須塩原駅周辺の方が、見つけられる可能性は高そうだ。ケータイには頼れないとなれば、とことん、思い当たる場所を当たってみるしかない。  尚央……。  たとえ、夕の当てが外れていても。予想がみんな空振りで、すべてこの時間が無駄になってしまうとしてもよかった。拓海は車をUターンさせる。そうして、那須塩原駅へ向かい、車を走らせた。  尚央……、どこにいるんだよ……。  尚央が今、どこにいて、何を思っているのか。それを想像しながら、ハンドルをぎゅっと握る。アクセルを踏み、山道をひた走る。曲がりくねった道のせいで、スピードが出せないのがひどくもどかしい。  尚央……、尚央……。  心の中で何度も尚央の名前を呼んだ。誰にも聞こえていないはずの声が、そうして呼びかけていれば、尚央だけには届くような気がしていた。
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