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やがてマンションの駐車場に着き、エンジンを切る。エレベーターで五階まで上がると、心臓の鼓動がどんどん速くなっていくのに気付いた。この体は、もうこれ以上の辛抱はできないと言わんばかりだ。
なんか、急に緊張してきたな……。
今夜は尚央と二人きりで、一晩中一緒にいられる。それを考えただけで、今にも感情が昂りすぎて、気が変になってしまいそうだった。しかし、ふと思う。尚央は今、どう思っているのだろう。
さっきの、ちょっと回りくどかったかな……。一応、誘ったつもり、だったんだけど……。
バス乗り場で抱きしめ合い、セックスを誘うつもりで囁いた言葉にも、尚央は何も言わなかった。ただ微笑んだだけで、言葉はなかったのだ。
尚央、絶対気付いてなさそう……。
そもそも、尚央がなぜ突然、電話に出なかったのか、その理由も拓海はまだ聞いていない。別れ話をしに来た風ではないので、ひとまずは安堵しているが、彼が拓海と同じ気持ちでいてくれているのかどうか、拓海にはまだ、自信がなかった。
でも、この前会った時に、一応それなりのことはしてるんだし……。
先月、尚央に会った時のことを思い出し、たちまち、かあっと頬が火照る。尚央だって、きっと拓海を欲してくれているはずだ。そう思い直した時だった。
「ここが、拓海のうち?」
「へぇ……っ!」
不意に話し出した尚央の声に驚き、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。尚央は驚いたのか、目を丸くさせた後、くすくす笑っている。
「……変な声」
「だって……、尚央が急に話すから……」
「ごめん……」
「いいけど……。ここがおれんちね、五〇五号室」
「五〇五……」
「そう。こっちに来た時は、尚央に渡してある鍵、使って。勝手に出入りして大丈夫だから」
「うん、ありがと。今日、ちゃんと持ってきたよ」
そう言うと、尚央嬉しそうに笑みを浮かべながら、「ほら」と、ポケットから鍵を取り出して、拓海に見せる。その表情一つで、拓海が感じていた不安は一気に吹き飛んでしまった。
「そっか、よかった……」
「うん」
「……なんか、夢見てるみたいだなー。尚央が本当に家へ来てくれるなんてさ……」
「僕も。ずっと拓海に会いに来たかった」
そう言うと、尚央は拓海の手を取って、指を絡め、優しく握る。そうしたまま、親指で手の甲を何度も、何度も撫でてくれた。その手つきに、拓海の頬はぶわっと火照り、せっかく引いてきた汗もまた滲み始める。
「尚央……」
「拓海に、触りたかった……」
「うん、おれも……」
そう答えると、尚央は繋いだ手をぎゅっと握り直し、繋いだままの拓海の手の甲にちゅ、と口づけた。同時に、尚央の瞳がゆっくりと細くなる。
「尚央、あの……」
「ん……?」
ゾワリとするほど、妖艶な笑みだ。そのあまりに色気のある表情に、心臓がドクン、ドクン……と高鳴る。拓海は慌てて顔を逸らした。
「拓海……?」
「いや、なんでもない! とりあえず、入って!」
「うん」
びっくりした……。何、今の……。尚央の顔……、めちゃくちゃエロかった……。
これまで好き勝手に生きてきて、両刀で百戦錬磨で、あらゆる男女を味わい尽くしてきて、経験だけは人一倍あるというのに。こんなシーンは慣れているはずなのに。それなのに拓海は、尚央の色気に恐ろしさすら感じてしまっていた。まるで、思春期を迎えたばかりの子どものように胸がドキドキして、どうしたらいいのかわからなくなる。好きが溢れるあまり、狂わされてしまいそうになる。
「お邪魔します」
「ど、どうぞ……」
玄関に入り、鍵を閉める。我が家に帰ってきたせいか、緊張は多少ほぐれたものの、心臓の鼓動は余計にうるさくなっていく。拓海は靴を脱ぎ、ふうっと息を吐いた。だが――。
「ここ……」
「え?」
「ここ、拓海の匂いするね……」
「えっ」
途端にまた、頬が火照る。慌てて部屋の匂いを嗅いでみる。
「く、くさいかな? ごめんっ、最近タバコも量減らしてんだけど、やっぱり……」
「ううん、臭くない。いい匂い」
「ほんと……?」
「うん、拓海の匂いだもの」
そう言われて、ひとまずはホッとするが、それでも気になる。自分の家の匂いなど気付くはずもなく、だが、なんだかひどく恥ずかしくなって、拓海は慌ててリビングへ向かった。
「なんか、むわっとしてるかもね……! 今、窓開けるから」
昼間の暑さのせいもあって、部屋の中は蒸し暑く、空気が籠っていた。拓海は足早にリビングへ向かう。今朝の寝起きの悪さと、尚央を想うあまりに鬱々としていた感情が、そのまま空気と混ざり、残っているような気もする。拓海は、ベランダに続く窓を開け、風を入れる。それから、テーブルの上のマグカップを見つけて、それを急ぎ片付けた。
「部屋、あんま片付いてなくてごめん……。朝、コーヒー飲んでそのまんまだったわ」
「いいよ、気にしない。拓海は朝、コーヒー飲むの?」
「うん、絶対飲む。じゃないと、なんつーか、シャキッとしなくってさぁ……」
「そうなんだ。僕と同じ」
「おれのはインスタントだけどねー。尚央、悪いんだけどちょっとその辺に座って待っててよ。おれ、これだけ洗っちゃうからさ……」
そう言いながら、マグカップを洗い始める。だが、不意に。耳元で「拓海……」と囁かれるように呼ばれて、背後からぎゅっと抱きしめられた。ただでさえうるさかった心臓がまた、ドクン……ッと跳ね上がり、拓海は手を止める。
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