2.冴えない私にはMINIクーパーが遠い

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2.冴えない私にはMINIクーパーが遠い

「あ、来た!」 マイがナツミの肩をパシパシ叩き、ナツミが、「あ、ほんとだ、あそこ」と高い声を上げ、私の視線を導く。  幌をフルオープンにしたワインレッドのお洒落な車。大学の正門前でウインカーを瞬かせ信号が変わるのを待っている。 MINIクーパーというらしい。幌を張ったり畳んだりできる車をコンバーチブルということも先生に恋することにより得られた知識だ。恋が広げてくれるのは空想の翼だけはない。知識をも広げてくれる。知識が広がれば世界も広がる。──恋って素晴らしい! 信号が青に変わる。先生の車が右折し、大学の正門に入って来る。 サングラスにサラサラの髪の毛をなびかせた先生にふたりとも自分の持てる最高の笑顔を広げ頭を下げる。私もワンテンポ遅れてコクリと頭を下げる。いつもワンテンポ遅れてしまうのは、私がまだ彼女らの世界の部品になり切れていないから。歯車の大きさに多少ずれがあるのだ。それが一点何秒かのディレイになる。  彼女らは胸の前で小さく手を振ることも忘れない。そのかわい子ぶった身振りは、いつしか恋を叶えてやろうという意欲に満ち満ち溢れていた。私は彼女のに飲まれてしまい、上げかけた手を下げてしまった。ディレイどころか行動にさえ連結できなかったのだ。上部の歯車とうまく嚙み合わなかった結果だ。 先生の唇はいつもキュッと音がするくらい固く閉じられている。若干「へ」の字型になっているのがニヒルだ。それを私たちのためにほころばせ、手を振り返してくれた。私には「やあ!」という声は聞こえなかったが、マイもナツミも「言った、言った」と主張して譲らない。恋に落ちた乙女たちは手を取り合ってピョンコピョンコ跳ねて喜びを表現している。 恋とは世界を誤解するものらしい。誤解で歯車を回さないでほしい。 車が図書館の地下の駐車場に消えると、マイとナツミはほーっとため息をつく。お菓子を取り上げられた子供のように、いつまでも駐車場の入口を物欲しそうに見つめている。 「早く前の席をキープしなくちゃ!」 「そうそう、それそれ!」 彼女らはいきなり踵を返す。速足で歩きだした彼女らは全身から生命力を発散させている。三人だけの世界の部品となれるように祈りながら、彼女らの後ろを2メートル遅れでついていく私。きっとほかの学生が見たらマイとナツミの飼い犬のように見えるだろう。  運動不足がたたって息が切れる。六月。梅雨入り宣言二日目の曇り空。湿気が半端ではない。図書館5階の階段式大講義室に着いたときは汗だらけになっていた。 どうして金曜日ごとにこんな苦行に耐えなくてはいけないのだろうか。部品だから文句を言ってはいけないのだが。先生のため? 先生は既婚者ではないか。マイとナツミの気が知れない。いや、先生の気を引こうと躍起になっているのは彼女たちだけではないと聞く。みんな奥様とガチで争う勇気があるのだろうか。
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