11.先生の趣味

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 板張りの洋間。畳にしたら十畳ほどになるのだろうか。ワックスで磨かれた床板はこのお屋敷が建てられた時代の重厚な色を放っている。  ベランダ側を除いた三方向は本棚に囲まれている。天井までぎっしり本が詰まっているのはなかなかの壮観だ。 「リビングの大きなモニターで見れたらよかったんだけど、光枝さんには見られたくないものなんだ。だから、ここで見てもらうことにしました」  先生はティーテーブルから椅子を引いてきた。それを黒くどっしりとしたデスクチェアーの隣に並べて、どうぞ、と言った。先生がパソコンキーをいくつか器用に叩くとモニター上で動画が再生される。 「あ、奥様……ですか?」 「うん、そうなんだ」  カメラはリビングでピアノを弾いている奥様を正面から映す。譜面台で顔の半分は隠れている。曲はブラームスのワルツだろうか。画面の隅ではレースのカーテンがそよ風にあおられ、柔らかく揺れている。季節はきっと春だろう。  カメラがグランドピアノの周りを大きくゆっくり回り、次第に奥様の全身が現れる。  心臓がドキッと音を立てた。隣に座った先生がチラッと私を見て微笑んだ。  奥様は白の薄いネグリジェを一枚身にまとっただけの姿で鍵盤に指を走らせているのだった。小ぶりで形の良い乳房。その上に乗ったピンク色の乳首が透けて見える。指の強いタッチに合わせてプルプルと揺れている。  奥様は今よりも若い。いや、若いと言うよりは幼いと言った方が合っているかも。ぷっくりと赤みをもって膨らんだ頬はとてもみずみずしく健康的だ。病を得る前の姿なのだろう。  カメラが奥様の後ろに回り込む。まっ白で面積の少ない紐ショーツが奥様の丸くふくよかなヒップを覆っている。  ピアノのシーンはやがて、裸の奥様が海辺で波と戯れるシーンや、陽光の燦々と降り注ぐ庭園の芝生に気持ちよさそうに横たわりるシーン、さらには凹凸の陰影豊かな裸体に褐色に輝く蜂蜜を垂らしてゆくシーンなどに転換したり二重写しになったりし、再びピアノシーンに戻ったところで曲が静かに終わる。  私は奥様の裸体の美しさに魂を奪われた。 「今のは比較的最近になって撮った動画なんだ。高校生卒業直前の家内を撮ったものもある。七年前。私の処女作なんだ」  そう言って先生は別のファイルをクリックした。  七年前高校三年生だったということは奥様は現在24歳か25歳ということか。  セーラー服姿の奥様がシューマンの「子供の情景」を弾いている。先生の作品は必ず奥様のピアノの演奏で始まるというのがパターンになっているようだ。  桜色の頬。サクランボのようにツヤツヤの唇。ポニーテールに触角のような長い横髪。長い睫毛がくりくりの瞳に陰影を落としている。ピアノを弾くのがそんなに楽しいのか、身体が生き生きと弾んでいる。自ら歌っているかのように唇が閉じたり開いたり、固く結んだり(くつろ)げたりしている。少女の顔の表情を見ているだけで音楽が聞こえるようだ。  ピアノを弾いていた少女が突然指を止め椅子から立ち上がる。曲はバックグラウンドで進行する。窓の外は夕焼けに染まる海。カメラが接近し物思いに沈む少女の顔が最大アップになる。再びカメラが引いていくと、少女は全裸だ。まだ成熟しきらない青みを帯びた乳房。乳丘に沈んだ乳首。脂肪が乗りきらずごつごつとした少年っぽさを残す肢体。  少女は一糸まとわぬ姿で曲に合わせて踊りだす。 「小学生の時はピアノと同時にバレエも習っていたんだ」  先生が画面上の幼い奥様に目を細めながら説明してくれた。奥様の裸体は女の私が見ても見惚れてしまうほどの健康美とため息が出るほどの(はかな)さを湛えていた。少女の憧れ、喜びと悲しみが絶妙に映し出されたこの作品もまぎれもなく芸術だった。  一時間ぐらいかけて四つの作品を見せていただいた。どれも短い作品だったが、私はその一つ一つに感動した。そして──涙した。  全部で十五作品あるのだとモニター上にファイルの羅列を自慢そうに見せてくれた。
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