13.奥様の告白

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13.奥様の告白

「奥様と先生を疑っているわけではないんです。ただ……」  奥様は車椅子のひじ掛けに載せたクッションにさっき私が渡したプリントを置きじっと見つめている。奥様はそれを厄介な証拠品としてみているのだろうか、それとも華やかに活動していた昔を懐かしんでいるのだろうか。  雨の日は時間の流れがゆっくりだ。動きのない奥様の全身の輪郭が背景の庭園に少しづつ溶け込んでいくような錯覚にとらわれる。「影が薄い」という言葉はこういうことをいうのだろうか。存在感が希薄になり、いるのだかいないのだか判断するのも面倒くさくなるような感じ。 「ただ、私の裸を記録してくださる方がどんな方なのか、しっかり知っておきたいと思っただけなんです。だから……、お気に障ったのなら申し訳ありません……」  私は奥様の前でうなだれた。どんなに言い訳をしようとも、今まで良くしていただいた奥様と先生に疑いの目を向けていることを告白したことに違いないのだから。恩を仇で返す様なことは、できるものならしたくない。でも自分の大切な裸を提供する以上、納得するまでカメラマンの素性を問いただす権利が私にはあるはずだと思う。  奥様は相変わらずA4のプリントをじっと見降ろしている。紙の端が黄ばみ、四つ折りの線の一部が破けているそれは、マイから借りて来た<山崎瑞貴ピアノ演奏会>のプログラム。4年前、マイの高校の全校生徒を集めて行われた演奏会だ。当時まだ音大生だった奥様の近影と略歴も載っている。  果実のような唇がほころんだ。長い睫毛に縁どられた切れ長の目は、知られたくない過去を見下ろす目ではなかった。遠い昔を懐かしむような穏やかな表情が私にも見えた。  その柔和さに私はほっと胸をなでおろした。きっと、奥様は私が満足するような答えを与えてくださるはずだ。なぜ奥様と先生を疑ったのだろうと、自分の軽率を後悔させてくれる言葉が奥様の口から聞かれるはずだ。そんな楽天的な予想をしていた。 「そうよ。これ、私よ」 「山崎姓ということは、すでに先生とご結婚を?」  学生結婚なんて珍しいことじゃない。奥様はこの時すでに結婚されていたに違いないのだ。奥様が先生の妹だなんて何かの間違いに決まっている。きっとマイの早とちりだ。おばさんだって結構そそっかしいところがあるし。そうに違いない。そうであってほしい。そうならば、私を苦しめている疑いは霧散する。ところが、 「私、──先生の妹なのよ」 「えっ……」  心臓が止まりそうになった。胸に手を当て、奥様に気づかれないようゆっくり大きく息を吸う。身体は大量の酸素を欲しているのに、奥様に私が受けた衝撃を悟られたくなくて、できるだけゆっくり呼吸をする。
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