2.冴えない私にはMINIクーパーが遠い

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私だって先生には関心がある。マイとナツミに負けないくらいだ。部品としてではない。一人の女として。彼女らには近いかもしれない先生は、私には至って遠い。だって先生と私はあまりにも違いすぎるから。 いつも洗練された出で立ちの先生は、大学生だといわれても信じてしまうほど若く見えた。先生と並んで歩いたら、少しだけ年の離れたお兄さんだと思われてもおかしくない。だが実際は35歳。一回り以上の年の差があるのだ。年齢の面から言っても先生は遠い。 35歳という若さで准教授。きっと頭脳優秀なのだろう。奥さんが理事長の娘さんだという噂がある。としたら、とびぬけて優秀な頭脳に加えて上流社会のコネもばっちりだ。取り立てて頭の言い訳ではない私には、そして生粋庶民の私にはやはり遠い存在だ。 知的で、すらっと背が高く、整った顔立ちの先生はスポーツマンでもある。昼休みに同僚の先生方とテニスに興じている先生の姿を見に、女学生たちが金網フェンスを取り囲む。お客さんに餌をねだる動物園の猿のように。私もテニスで先生のお相手ができたらいいと思う。でも私は全くの運動音痴。先生の伴侶ともなればテニスは必須だ。ああ、遠い。遠い。 頭脳 優秀で、スポーツ万能で、人脈も広いと、人は往々にして傲慢に陥るものだ。だが、先生にはそれがない。 受講生が提出したレポートの一つ一つにコメントを書き込んでフィードバックしてくださる。右肩上がりの角ばった文字は決して上手とは言えないが、とても読みやすい。コメントの内容には誠意がこもっている。押しつけがましいところがなく、一人一人の考え方を尊重してくれる。きっと先生は学生の一人一人を人間として尊敬し、その学生にあった真の自立を願っているのだろう。 私のことも尊敬してくださるだろうか。だとしたら、先生の面倒見の良さのおかげで、ちょっとだけ距離が近い。 去年先生から返していただいたコメント入りのレポートは、まるでアイドルからもらったサイン色紙のように今でも大切に保管している。 先生は社会的には遠いけど、私自身の考え方と努力方次第で距離を縮められそうな気もする。 だから、あきらめられないのだ。 あきらめられないから、これは恋なのだ。私は大きな血の池に落ちた罪人なのだ。
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