2.冴えない私にはMINIクーパーが遠い

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私は頭の回転も容姿もスタイルも十人並みの、どこにでもいる女の子だ。いつも自分磨きに余念のないマイとナツミと一緒に歩いていると自分のダサさが嫌になって来るほどだ。ひょっとしたら先生は和風ぽっちゃり美人のマイと日本人離れした彫りの深い顔をしたナツミには振り向くことがあるのかもしれない。だが、私はきっと彼女らのペットぐらいにしか思われてないだろう。 生まれたときから内向的。病的なほどコミュニケーション不全の私だから物心ついた時から友達もほとんどいなかった。今思い返しても仲のよかった友達は片手の指でも数え上げられるほどだ。  クラスでは厄介者だったかもしれない。でもいじめられたことはない。へこたれたり落ち込んだりすることもなかった。だって、私には私の世界があったから。知識と想像と音楽で武装された王国の独裁者だったから。  今でも文庫本と楽譜が詰まった本棚に囲まれたアパートの小さな一室が私の世界だ。 そんな閉鎖的な世界に流星のごとく現れたのが先生だった。先生の西洋文学の講義が脱線し、クラシック音楽の作曲家や彼らの生きた時代背景などに話が飛ぶのが、大学生活での唯一の楽しみともいえた。先生の話自体にも興味があったが、先生と共通の趣味を持っていると実感できることが何にも増して嬉しかった。 フランスの印象主義の作曲家の話が出ると、私はその日家に帰り真っ先にしたことはドビュッシーの楽譜を広げることだった。楽譜は持っていても、ピアノは実家においてある。それでも、先生と世界を共有したくて、空想の鍵盤の上に指を走らせる。私のピアノは先生に気に入ってもらえるだろうか。 ちょっと大胆に想像の翼を広げてみよう。 先生のお屋敷のリビング。真っ白のドレスを着た私。曲はどうしよう。そう、やっぱりドビュッシーがいい。とすると、私のつたないテクニックで何とか最後まで弾けるアラベスクがいいかも。ロッキングチェアに身をもたせた先生がコーヒーを啜りながら私のピアノに聞き入っている。演奏が終わると先生が思索にふける哲学者のように、もったいぶってゆっくりと私に歩み寄って来る。 「素晴らしかったよ」  先生が私の顎を指で上げ、キスを落とす。 「先生……」  私は顔を真っ赤にし、酔っぱらたようにうっとりとしてしまう。 想像は万人に与えられた自由。想像するときだけ私は歯車から解放される。この自由を私は思いっきり謳歌する。 ──これでわたしは十分に幸せなのだ。十分ときめいているのだ。この程度の楽しみで私は満足だ。 しかし、やっぱり…… ──遠いよ……。 先生への恋心が高揚してくると冷や水を浴びせかけるようにもう一人の私が呟く。 超美人だと噂の奥様までご登場。チチチチと舌を鳴らし人差し指を左右に振っている。その視線のなんと冷ややかなことか。先生は奥様に手を引かれ寝室に去ってしまう。 ──ああ、本当に遠いんだ、先生は……。  せっかく幸せなシーンを描いていたのに、そこに自ら奥様を登場させてしまう不甲斐ない私。 どんなに夢を描いても所詮現実にしか住めない私は、蚤とダニに体を(むしば)まれた惨めな小犬にも等しいのかも。  暖かく快適な家にあげてもらえず、物欲しそうな鼻面をサッシの隙間に突っ込む。そして一吠えする。  ワン!
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