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3.セックスしてません
魂は想像の世界を飛翔できても身体は現実にしか住めない。なら、潔く現実の話をしよう。
月に一二度、コンサートや美術館に行ったり、食事をしたりする同い年のカレがいる。木ノ下くんという。学部は違うが、一年生の時から一般教養の授業でよく顔を合わせていた。
彼は初めナツミとつきあっていたのだが、「よくある性格の不一致ってやつよ」といって私に譲ってくれた。ふたりの間がどれほどの深さだったのかは今もって知らない。敢えて聞かないようにしている。美人でモテモテの彼女にはイメージ管理上あまり触れてほしくないことらしかったから。
「ナツミさんは僕にとっては高嶺の花なんだ」
つき合いだして間もない頃にさり気なくいわれた彼の言葉に深く傷ついた。
──ナツミの心をつかみきれなかったから、私? 足蹴にされたから、私? 私は所詮ナツミの代わりなの?
泣きそうになった。でも、ぐっとこらえた。いいじゃん、ナツミの代わりでも。みんなこうやって生きているのかもしれないし。モテる女の元カレをカレシにせよ。──そんなマニュアルがどこかにあるのかもしれない。情報に疎い私が知らないだけなのかも。
私は大人しく真面目だけが取り柄の目立たない女。部品として生きて行こうじゃないか。上部の運動を下部に伝える歯車になりきろう。木ノ下くんは動力。上から伝達されたそれを受け小さな歯車が回る。世界はそうやって回っているのだろう。それで世界が円滑なら私にも存在価値があろうというものだ。
コンサートホールの座席に腰を下ろす。狭い空間で偶然手と手が触れ合う。私も彼もさっと手を引いてしまう。コンサートが夜遅く終わり、帰りが遅くなると、誠実で優しい彼は必ずアパートまで送ってくれる。だが、決して家に上がり込むようなことはしない。ちょっと休んでいってもらおうかな。──そんな思いが脳裏を横切らないこともない。私のそんな曖昧な思い知ってか、断ち切るように「じゃ」と手を振って帰っていく。そんな誠実で潔癖な彼には好感が持てる。
そう、「好感」。
好感って恋なのだろうか……。今もってわからずにいる。
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