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社務所でお茶を飲んでいた。
ジジ、ジジ、とかすかな音がする。
窓ガラスの外で、蜂が破れた羽根を震わせていた。
境内は冬の冷たい雨に濡れるばかりで、蜜を集める花も咲いていない。だのに。まだ生きて桟にすがっている。
よろめいて、少しずつ歩いているようすは、生き物がもつ生命への執念を感じさせた。
消防署の裏の、貯木場があるあたりはほとんど人家のない、ひっそっりとした場所だ。ノブヤがバイクで通りかかると「助けてくれ!」と叫ぶ声がした。
数人が入り乱れた喧嘩である。
「やめろ、やめろ!」と、前輪を上げて突っ込んでいった。
「ちくしょう、じゃまが入った!」
「覚えてろ熊倉!」
地面に尻もちをついている一人を残して、あとの者たちは車で逃げて行った。
「あんた一人を大勢で取り囲むなんて、卑怯な連中だな」
「まったくだ、あのマヌケ野郎ども」
腰が抜けて歩けなくなっていた男を、ノブヤは近くのベンチまではこんでやった。
「あんた、なんであの連中に襲われてたんだ?」
「わしからカネを取り戻そうってんだ」
「え?」
男が出してよこした名刺には『オーシャンビジネス代表取締役 熊倉寿一』とあった。
オーシャンビジネスは、大規模な詐欺をはたらいたというので近頃さかんにニュースで騒がれている悪徳投資会社だ。
熊倉寿一は、厚いくちびるの丸顔で。七三に分けた髪をポマードで固めている。抜け目のない経営者といった感じの男だった。
「海底に眠っている資源で大儲けともちかけたら、よろこんでカネを出したくせによ」
「嘘だったのか?」
「ああ、昨日、倒産した」
といって、出資者が納得するはずはあるまい。計画倒産にちがいないと、熊倉を締め上げて取れるものは取り返そうと押しかけてきたのだろう。
「わしを捕まえたって返すカネなんてありゃせん。全部遊興費に消えたからの」
「ひどいやつだな」
「騙されるほうがわるいのだ」
熊倉はゲラゲラ大笑いした。
「そんなことより、あんた神社の関係の人かね」
バイクの荷台に括り付けてあった賽銭箱を指さした。これは、消防署の近くにある稲荷の祠から、修理のためにさっき回収してきたものだ。
八幡神社の神主だというと、
熊倉は目を輝かせた。
「わしと手を組まんか」
ノブヤに伸し掛かるようにして顔を近づけた。
「前々から考えておったんじゃ。どうじゃ、わしと新興宗教を起こさんか」
「ちょっとまて、何を言っている」
「だからさ、わしが教祖になって信者をだまくらかせば、税金はタダだし、ガッポガッポ儲かるじゃないか」
ばかばかしい、そんな悪行の片棒が担げるものか「断る」。
「そうだ、うまく行ったらあんたに祇園の茶屋を買ってやろう。毎晩舞妓を上げてどんちゃん騒ぎだ」
こいつを助けたのは間違いだったんじゃないかと思われてきた。
「あんた、人を騙す金儲けばかり考えていると、ろくな死に方をしないぜ」
「ま、待て。悪い話じゃないだろ。もっとわしの話を……」
立ち上がったノブヤを引き留めようとした熊倉が、突然倒れた。
ぜえぜえ息をして、顔にびっしりと汗が噴き出ている。
「あんた、どこか身体の具合がわるいのか?」
「ああ、わしの身体は治らない病気におかされているらしい。医者のやつめ、あと三月ももたないとぬかしおった」
「重病人じゃないか」
ノブヤは熊倉を抱き起した。
「ふふ、それが二年も前のことさ。わしはまだこうして生きておる」
そういうと、急に身体をふるわせ、ノブヤを押しのけると血の混じった液を吐いた。
「まだ死にはせん、死んでたまるか」
げえげえ吐きながら、呻いた。
この男、熊倉寿一は、死にかけている病人でありながら、世間を騙すあくどい商売をつづけて来た。
新聞やマスコミで悪徳業者として大騒ぎされるほどの存在なのである。
やったことの良し悪しはべつとして、なんだか壮絶な生きかたである。
ノブヤは、ちょっと感心した。
「いたぞ、あそこだ」
さっき逃げて行った連中だ。車から次々に降りてくる。
だまされた被害者なんだから熊倉を責めたい気持ちはわかるが、暴力はいけない。
まずは話し合いを。とノブヤは男たちをとりなそうとした。
が、こんどは人数が増えていた。しかも、木刀やバットを手に、道端に生えた雑草をめちゃくちゃに打ち払いながら、こっちへ向かってくる。
「待て、まず落ち着け」
ノブヤは大声を出した。
しかし、男たちは被害者の怒りで理性を失っているらしく、声を出しても耳に届かないようだ。
ノブヤは逃げ出した。凶器を持った連中と渡り合えるものじゃないし、
もともとこれは、詐欺師と被害者の間のもめ事である。自分には関係ない。
熊倉には悪いが、助けてやる義理はない。身から出た錆だとおもってあきらめてくれ。
男たちが熊倉をもう少しで捕まえようとした、そのとき、追い迫る男たちと熊倉との間の地面がグラグラと割れ、奇怪な怪物が姿を現した。
ナマズのような口。ひきがえるのような手足。赤い陶器のまがい物のような角。奇怪至極な怪物だ。
そして、怪物が息を吐くと男たちは毒に当たったえびのように苦しみだした。両手で顔を覆い咳き込んで悶えている。硫黄臭いにおいが辺り一面に広がり、草木が枯れていく。
男たちはわめき散らし、熊倉を追うことを忘れて、勝手勝手に木刀やバットを振り回して、互いの身体を傷つけ合っていた。
ノブヤが、熊倉は?と見ると、
木立ちにすがりながら、怪物の毒息に狂乱状態になった男たちから少しでも離れようとしている。
「くたばってたまるか」という声が聞こえてきそうな、その必死な様子は、
冬の寒さに耐えて生きる、一匹の冬の蜂のようだった。
おわり
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