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PM05:00 浅煎り匙加減
「珈琲、飲めないんスよ」
そう言って、堂々と珈琲喫茶に居着くようになるのもそうだが
「分不相応ならこちらで」
と、煙草を吸おうとした男子学生相手に、本格的な葉巻に火を付けて差し出す、一応禁煙である喫茶店マスターもいかがなものかと思う。
双方睨み合い、もとい、片方怪訝な顔つき。一方マスターは、いつもと変わらぬ柔軟な微笑みで。
学生の煙草は、既にナプキンと丁寧に潰し消され。手に持たされたのは、既に火が付いた、映画に出てくるかのような葉巻で。
迷った末に思い切ったのか、葉巻を吸った。
そして
噎せたのだ。
色々とマスターの勝ちだなぁと、私を含む周りの客もそう思ったに違いない。噎せ返って涙ながらの学生におしぼりを渡し、葉巻はすぐさま火を消し、ドアを開け店内を喚起する、隙の無い捌きよう。
煙草さえ吸わない彼が何故葉巻を、と疑問に思ったのも束の間。自ら祝わない何時だったかの誕生日に、常連さんに「上等だから」と1本贈られたのだ。厚意を無碍に出来ないマスターだから、大事に保管していたと思っていたがーーこんな所で、出番とは。
一通り噎せ返り終えた後の、珈琲は飲まない発言。
流石にお冷やだけ出すのかと思いきや、マスターは何かを考えた後、とある珈琲豆をカウンター奥へ取りに行った。
スマホを無言で弄る学生に、マスターは紅茶色をした飲み物を差し出したのだ。
「……金、忘れたんスけど」
「今回だけサービスということで」
気に入れば、また飲みに来て下さい。
巷ではそのスマイルを、心の中で仏のように拝んでいる人も居るんだよと、終始ぶっきらぼうな学生に対し私の中でツッコんでおく。
一口飲んで、意外そうな顔をした。
飲み干して、狐につままれたような顔で店を出た。
それが今や陶芸を趣味とした社会人となり、マスターに自作の珈琲カップを品定めしてもらう間柄になるとは。あの時の一部始終を知る私からしたら、その時の客層に教えてあげたいくらいだ。
「いつか教室の先生に会心の出来と言われたカップで、名前も知らないこの飲み物を飲みたくて」
ただ単に捻くれ荒れていた日々。何かしらの捌け口をと、禁煙であるうちの喫茶店に入って云々。
その日から進学する一時の別れまで、欠かさず来店しては、それでも終始無言で、紅茶色の飲み物を啜って帰っていた、学生だった頃の君。
「それ、君の嫌いな珈琲だよ」
そう教えてあげた、マスターのいたずらっぽい笑みときたら。
ぽかんと、十数年越しの真実に、開いた口は本当に塞がっていなかった。
「日本の浅煎りは、本来なら深煎りのようなものなんだ。本場はとても飲みやすい、本当、紅茶のようなこの飲み物が『浅煎り』なんだよ」
まぁ、浸透してないから出してないだけなんだよね、と付け加えて。
「もし君が会心のカップでこの浅煎り珈琲を飲む日が来たら、正式に店に出そうじゃないか。名前は、あの日にちなんで、そうだな……」
「やめてください」
そう、気恥ずかしく顔を覆っては、メニューに並ぶことを待ちわびながら。
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