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PM07:00 閉店録
「お前は、梟のように賢い」
ずっと子に恵まれなかった、そんな中生まれてきた喫茶店の息子は、早くに母を亡くし男で1つで育てられた。
「だが、店に囚われる必要は無い」
一言で言えば自慢の親父。人望があり、親父の珈琲は近所でも評判で。長年親しまれていた喫茶店を継ぐのも、悪くないと思っていた矢先だった。
「1つの木に宿らず、羽ばたいてみなさい」
美麗な桜模様の彫刻が施された、年代物のコーヒーミルを挽き、穏やかに芳醇な香りを奏でながら。
とても、重く。
疲れた。
一人きりの、久方ぶりの実家。
生まれた頃から常連で居てくれた、近所のおじさんは終始自分に付き添って、先程まで親父の側に居てくれた。
鍵もかけず、カウンターでもたれかかり、心地良く眠っていると勘違いするほどだった。そう、親父を発見したおじさんは語ってくれた。
心筋梗塞。とまでは、死因を覚えている。
正直それ以外、頭に入ってこなかったというか。
一人抜け殻のように喪主を務めるかと思いきや、それこそ常連のおじさん、はたまた記憶に無い近所の人々総出で、親父の葬儀を手伝ってくれた。
「困ったときはお互い様よ」
「照ちゃんには昔からお世話になってたし」
本音を言うと、とても助かった。何なら、親父の人望に助けられた、と言っても過言では無い。
それほど長く、太く務めてきた証拠のように、弔問客は途絶えることを知らなかった。
ある人は、親父が吸わないはずの葉巻を桐箱に入れ持ってきた。喜んでくれないのは重々承知済み、だけどこれしか出来ない、と。
またある人は、瞼を腫らして立派な陶器の珈琲カップを、微笑むように目を閉じる親父の棺桶に添えた。マスターの珈琲、飲みたかったです。小さく声を震わせて。
また、海外経由で花が届き、帰国した際にまた顔を出します、とメッセージを添えられた。この場に来られない悲しみを、恐らく含ませ。
それから通夜が過ぎ、告別式を経てからの、出棺、火葬。トントンと呆気なく、気付けば遺影と遺骨を前に、ぼうっとしていた。
ずっと、居場所をありがとうな。
先程まで居てくれた、おじさんの帰り際の言葉。あれは、親父に向けての言葉だった。
頭の中で反芻しては、写真好きの客が持参してくれた、比較的最近の親父の写真、遺影に使われた、その穏やかな顔をじっと見る。
若き母の遺影と並ぶ、親父の居場所。
ゴトン、と静けさに音が響き、驚き棚を見る。身辺整理の際、しまわれたのか。
桜のコーヒーミルを、そっと、その手に取った。
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