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たっきの笑い声と耀ちゃんのブチ切れた怒声でやかましいリビングにポツッと言葉が滴り落ちた。
「性的に好きって、生々しい単語を選びおって」
それは真っ赤な雫がぴちゃん……って一雫、滴り落ちただけの静かな音とよく似て、リビングの時間が止まったようなピンッと張った静寂に包まれた。
今までカーペットに転がって黙って成り行きを観察していた千春君がその静寂の中、のそりと立ち上がる。しっかりと両の足で立ち上がると、腰に手を当ててとても小さなため息を吐いて首を横に小さく振った。
さっきまで熊でも何でも一撃で落としそうな勢いでゆきちんと秀ちゃんを引き摺ってた耀ちゃんは、目の前に立った千春君になぜか判り易く怯んだ。詳しく言うなら攻撃を一切放棄して防御姿勢にシフトした。
背丈だけで言うなら随分と千春君の方が小さいのに、威圧感は千春君の方が数倍上。
普段の千春君はロックを地で行くような人だから、他人を威圧するとか攻撃するとかってほとんどしないし、した所を見た事もない。前に秀ちゃんが言ってた〝音楽で全てを語る人〟って言葉がしっくりくる、そんな人なのに。
「頭ん中でウチの息子をオカズにすんのはそちらさんの勝手や。けど、本人に害が出る言うんやったら話は別。翔平に害を与える奴は全力で排除すんで、俺は」
普段はあまり聞く事の出来ない西の訛りの目立った言葉を放った千春君は、今まで見たどの千春君よりも真剣で、放たれた言葉も重たいものだった。
その証拠にさっきまでゲラゲラ笑っていたたっきがピタッと笑うのを止めた。
耀ちゃんも真顔になって千春君を見つめている。
ゆっくりと俺に向き直った千春君はじっと俺を見つめて言葉を待つ。俺に耀ちゃんに対する対応を決めろと言っているんだって肌で感じた。
もしもここで俺が嫌悪感を露わにしたら、千春君は先程の言葉を実行に移すつもりなんだろう。
俺の自立と成長を促す為に繋いでいた手を離した千春君は、俺に迫った危険を感知してこうしてまた俺のところに帰ってきてくれた。
俺が知らないだけで、定期的に俺の様子をみっちゃんとかゆきちんから聞いていてくれたのかもしれない。じゃなきゃ海外に住んでいる千春君が今こうして目の前に居られるはずが無い。
「えーっと、うん。びっくりしてるけど、イヤやないよ。びっくりしすぎて上手く言えへんけど……自分でちゃんと考えて答え出さなあかんと思う」
「さよか」
「うん」
今はそう答えるので精一杯。
情報量が多過ぎて俺のキャパシティの少ない脳みそはヒート寸前。
俺の答えを聞いた耀ちゃんはガクッて体から力が抜けて、暴れ回る耀ちゃんを抑える為に羽交い締めしてたゆきちんは、今度は耀ちゃんがへたり込まないように背中を反らせて支える羽目になった。
ソファの背に両手を突いたみっちゃんが俺を覗き込むようにして笑いかける。
「翔平を怖がらせたり、困らせたりしたくなかったってのはわかってやってな?」
「うん。大丈夫。それはわかるよ」
「翔平の事をそういう意味で危ない奴が狙ってるって、自分の弱味を晒してまで俺等に何とかしてくれって言ってきたのは耀だ。だやから俺等は全員でお前をガードする事にした」
ゆきちんが真顔で俺に言う。
対策を講じてみれば、郵便受けが弄られていたり敷地内に誰かが立ち入った形跡があったり、果ては盗聴器やらなんやらがごっそりと見つかったらしい。
たっきも知らない内に警備会社のセキュリティレベルは更に引き上げられていたらしい。さっきの説明にその件は無かった。
盗聴器やらの話が出た途端にたっきは鼻の頭に皺を寄せて不快感を示した。自分のテリトリーに他人が入り込んでいた事に対する嫌悪なんだろうけど、これはこの子が一番嫌いな類の事だから仕方が無い。俺だって家中の盗聴器や小型カメラを撤去したって聞かされて、背中をざわざわした感覚が這い回ったもん。
自分の知らない内に安全圏に他人が上がり込む。しかも、自分を観察する為に。そんなのとてもじゃないけど許容できない。
でも、普通に暮らしていたらそんな事をされるだなんて夢にも思わないから、物凄くそういう違和感に鋭いたっきですらそこまでされてるとは気が付けなかった。寧ろ家から出てしまった耀ちゃんの方が客観的に違いを見つけられたのかもしれない。
さっきゆきちんが言った〝弱み〟って、みっちゃんとたっきにバラされたストーカー癖?みたいなやつの事なんだろうなぁ。俺の後をついて歩いてたんなら、そりゃあ違和感とかに気が付くのも早いよね。うん。知られたくなかったよね。……凄くよく分かる。
一通りの説明を受けた感想。
「なんで俺なんだろ……?」
こういうのもなんだけど、俺の家族は皆揃いも揃って美形ばっかり。しかも全員直接は血が繋がってないから美形のよりどりみどりって感じで全員タイプが違う。
全員集合すればまぁ華やかだし、そんな面々に囲まれてしまうといかに小柄でどちらかと言ったら女っぽい雰囲気でも、地味な俺なんて簡単に埋没してしまう。
地味とはいっても別に自分を卑下している訳じゃなくて、それだけ皆に華があるってだけ。流石にそこまで卑屈じゃない。
学生時代は常にフリージアみたいな耀ちゃんや杜若みたいなたっきが隣に居るものだから、ネモフィラみたいな俺はどうしたって霞むけど、ネモフィラにはネモフィラの良さもあるから!
うぅ……考えてて虚しくなってきた……。
皆もどう答えたものかと黙ってしまう。そらそうか。いくら身内の贔屓目で俺を可愛いと思ってくれていても、ストーカーの気持ちなんか分かるはずもない。
「そら翔ちゃんが可愛えからや」
あ、分かる子居たなぁ……。
思わず勢いで言ってしまったらしい耀ちゃんの言葉に、千春君が困った風にはぁー……って深い溜め息を吐いた。
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