アカシア

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 ぽってりとした薔薇色の唇から紡がれる言葉として最も似合うのは甘い言葉のはずなのに、実際に零れ落ちたのはそれとは程遠い辛辣な真実。 「翔平が危険なのは当然として、耀も同じかそれ以上に危ない。恐らくコレはそういう意味」 「そういう意味って……」 「警告」  ごくんって喉が鳴った。  凄味のある声でゆきちんは言い放った。  それは真実でしかないから、その飾っていない言葉がずぅん……と重くのし掛かる。  自然に前傾姿勢になる体を壁に手を突いて支えて、確認しなくてはならない事を聞いておく。 「警告って?」 「素直に考えるなら次に翔平に手ぇ出したらコレをメディアに売るとかネットに流すとかそういう意味とかか?まぁ、そんな事をしようとしても意味は無いけどな」 「意味無い?え?」  耀ちゃんはその見た目や雰囲気で音楽を聴いた事の無い人からは誤解されがちだけど、正統派のアーティストだ。  ルックスや事務所の話題作りとかじゃなく実力で売れただけあって男の子の固定ファンがとても多い。とはいっても女性からの人気もかなり高いのも事実。夢見る夢子ちゃんも一定数居るし、男同士の、それも血の繋がらない家族とのキスシーンなんてダメージでしかない。  ゆきちんはそれをつまらなさそうに〝意味が無い〟って切って捨てたけど、こんなのは世の中の皆様の知的好奇心を刺激するのには充分過ぎると思うんだけど。  俺が今まで生きてきた中で折に触れて思ったのは、俺の予想していたよりもずっと同性愛に嫌悪を示す人が多いって事。  ゆきちん達が受け入れてくれたのが異例中の異例で、俺みたいなのが生きていくにはこの世の中はまだまだ大変なんだ。 「圭はそういうのを止められんねんな。ネットなんか更に簡単や、名誉毀損で画像流した奴から拡散させた奴まで片っ端から訴えて回ればええからな。そしたら名誉毀損で訴えられた奴がめっちゃ居るて話題んなってインパクト勝負で勝つやろ。そんな事よか問題は犯人が耀を翔平の恋人やって勘違いしとるとこや」 「……しくじった。こんなになるって分かってたら直ぐ止めに入ってた」  ゆきちんが伏し目がちに呟いた。  あの時は盗撮されてるだなんて思ってもみなかったんだから、ゆきちんに落ち度は無い。もちろん耀ちゃんにも。  そこまで考えて、はたと気がついた。  もしかして俺は耀ちゃんを巻き込んだんじゃない?  そう思ったら足が意志とは関係無くカタカタと小刻みに揺れだして、壁に突いた手に力を入れる。そうでもしてないと今にもへたり込んでしまいそう。  俺が、警戒心皆無の俺が、本来なら無関係でいられた耀ちゃんを巻き込んだ。 「こっちは好きでやってんねん。お前は気にすんな」  ビックリして振り向いた。  だって誰の気配もしなかったのに、俺の直ぐ近くから声がしたから。  声の主を視界に捉えられなくてキョロキョロしたら耀ちゃんが俺のすぐ後ろにしゃがみ込んで上目遣いで見上げてた。  かったるそうにヤンキー座りをして、はぁって深く息を吐いた耀ちゃんがボソッてゆきちんとみっちゃんへ抗議を漏らす。 「ミツ君、けー君。翔平に要らんこと言わんといて」 「あー、ごめん。そやったなぁ」 「……悪い」 「俺もう風呂使った。風呂冷める前に入れ」 「あ、うん……えと、耀ちゃん」 「あ?」 「その……」  謝りたいと思った。  けれどそれを言ったらきっと耀ちゃんはまた怒ってしまう気がする。  俺が俺のせいで何かをした訳では無いから、この場合の謝罪は俺の罪悪感を消す為の自己満足でしかない。でも、何も言わないのも胸に何かが突っかかってるみたいで据わりが悪い。  どうしようかと耀ちゃんを眺めていたら、ふっと軽く息を吐いて最小限の予備動作で立ち上がって俺の目の前に立った。  少し上にある耀ちゃんの優しく細められた瞳をどうしようかと眺める。 「全部俺がやりたいからやった。自分の意思で、相手を挑発した。せやからお前が気にする必要はなんもない」  そう言うと俺の手を取って軽く廊下へ押し出すと、後ろ手でパタンとドアを閉めてしまった。  俺は廊下で一人、閉まったドアを見つめる。  お風呂は俺が最後だったから気まずい思いを振り払おうと思って、この前雑貨屋さんで見つけた可愛らしい花を模したバスボムを浴槽へぽとん……て落とす。  暫くするとしゅわしゅわと細やかな泡が立ち上って、爽やかなのに優しくて甘い香りがバスルームをふんわりと包み込む。  我が家のシャンプーとかコンディショナーは皆そんなに拘りが無いしアレルギーも無いから、全員共用。俺がバス用品専門店でその時々で気になったものを買ってきて使ってる。  誰かが特に気に入ったのがあればそれを選ぶのもありかなって思って始めた事だったたけど、誰からも今のところ何も言われてないからなんとなくお風呂担当は俺が続けてる。基本的に体を清潔に保てれば匂いがキツく残らない限り拘りはないらしかった。  今使ってるのはちょうどベルガモットをベースにした爽やかな匂い。今回の入浴剤の匂いと戦わないし相乗効果でほっと体から力が抜けていく。  香りって好みが分かれるものもあると思うし、バスルームには一応そこそこ有名なヘアケアメーカーのシャンプーとコンディショナーを俺の趣味とは別で常備してある。減り具合を見ると皆その日の気分で適当に使ってるみたいだった。  浴槽に漬かってぐーっと伸びをひとつ。 「はぁ~……」  少しの間に色んな事があり過ぎて体に余計な力が入っていたのかもしれない。  程よい温度のお湯と優しくて甘い香りに(うなが)されて(こわ)ばってた体から力がゆるゆると(ほど)けていくのを感じる。  パシャッてお湯を掬って首筋に掛けてみる。  飛沫が弾けるのと一緒にふゎんってすこしフルーティーな香りが鼻をくすぐって、またはぁ~……って息を吐く。  お風呂ってどうして意味の無い声を出したくなるんだろうね?  本当は、さっきの話をよく考えたいところなんだけど。  柔らかな黄色いお湯に浸かってるとそういう気も失せてしまう。  みっちゃんや耀ちゃんが風呂へ行けって言うくらい俺のお風呂好きは家族には当たり前になってしまってる。疲れを癒して来いって、言外に言われてしまうくらいさっきの俺は疲れた顔をしていたんだろうなぁ。  お風呂が好きっていうか、頭を空っぽにしてボーッと出来るのが好きなのかも。今日のは流石にキャパオーバーだったし、少しでも頭の中身を軽くしたい。  そういえば入浴剤に凝ってた時期があって、その時の俺からは安っぽいお菓子みたいな匂いがしていたらしい。  耀ちゃんに言われて気が付いた。  大人組はそんな事言わなかったから我慢してくれてたのかな?って思ったけど、そういうとこに遠慮の無いみっちゃんに聞いたら微かにする程度だから気にならないとの事だった。  暫く経ってからやっぱり容赦無く真実を吐き出すたっきに聞いてみたけど、やっぱり飴玉みたいな匂いがしなくも無いって返事だった。鼻先を思いっきり近づけてくんくんやってもパチパチいうガムみたいな?そんな匂いがしなくも無いって。 「そんなん誰に言われたん?」  首を傾げるたっきに曖昧に笑って濁すしか無かった。  そうだった。  耀ちゃんは昔から俺の事にはよく気が付く子だった。  同じクラスの子がなんとなく気になりだして、でもそんなの言えなかった時にも、その子に彼女が出来た時にも、なぁんにも言わないで少しお高いけどとっても美味しいって人気のパンケーキの店へ連れていってくれた。自分は甘いものそんなに好きじゃないのに。  ちょっと具合が悪いかなーって時にもみっちゃんよりも早く気が付いてくれたし、変な話俺よりも俺に詳しかった。  たっきに対してもそういう所があったから、それは耀ちゃんの個性なのかなぁって勝手に思ってたけど……。  浴槽に半分沈んでぶくぶく泡を吹く。  パチパチ弾けた泡からは良い匂いがする。  俺、本当に鈍かったんだな……。
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