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お茶を飲み干してから先輩は徐に立ち上がって、空になったお皿とお椀をサッとカウンターへ返してお茶のお代わりを汲んできてくれた。
こういうのって本来は後輩の俺がすべきなんだろうけど、気を使わせない先輩の方が人生経験が上だって事で次回から気を付けよう……。
「俺も犯人を特定出来るかって言ったら微妙なんだよね」
「そうなの?」
「いつも居るとはいってもさ、そこまで気にしてなかったから顔とかうろ覚えなんだよ。それで考えてみたら俺一人の時ってそういや会わないなって思って、勝田だけじゃなくて他の奴にもそれとなく確認してみてた」
先輩が首を捻りながら難しい表情を浮かべる。
こんなにフレンドリーな先輩だけど、ウチの部の二番手だ。普通の会社なら副部長とかのポジションになるのかな?ウチの部はクリエイター集団だから普通の企業でどういう肩書きになるのか分からない。
俺達はデザイナーとして取材を受けてメディアに顔が出る事もあるから、そういった事案には気を配ってくれているのも知ってる。それは主に女の子がメインだけど、俺はたまたま人気のあるモデルさんが俺のデザインしたアクセサリーを付けてくれたせいか何回か女性に会社の前で待ち伏せされた事があるから、俺は特例で気に掛けられていたらしい。
会社の方針として社員の身の安全を守るのは当然だって言ってくれるけど、その都度の雇用契約じゃないし、正社員として福利厚生もしっかり受けられるからウチはかなりホワイトな会社だと思う。
「俺が飯を食いに行く相手はなにも勝田だけじゃないけど、割りと多いし。怪しいのはやっぱ勝田かなって気がして探りを入れたらウチ以外の部署と合同でやった飲み会でお前がやらかしたって話が出てきちゃってさ」
今頃?って思ったけど、そもそもの順序が逆だったんだ。
まず先輩は部の責任者の一人として、自分の部下に待ち伏せや付き纏いの被害が起きている可能性に思い至った。そこから探りを入れていって、そのストーカー行為に本人が気が付いてないパターンじゃないのかって疑った。
そして物証は無くても、むしろその証拠の無さから来る違和感に勘が警鐘を鳴らしたけれど、誰がターゲットで誰が犯人なのか分からなかった先輩は会社へ報告へ上げる為にまずは個人で動くしかなかった。
そこで持ち前のフレンドリーさを遺憾無く発揮してそれとなく他の部署の人からも情報を収集してその情報網に俺のあの夜の話が引っ掛かった。
金曜の夜にストーカーなんてインパクトのある単語を放り投げてきたのは俺の反応を見る為と、念の為の保険として注意を促す為。
こうやって話していくと、如何に俺が危機感を持っていなかったのかを思い知らされる。
俺は正座して膝の上に両手を添えて項垂れる。
「家族に危機感が無いって叱られて……」
姿勢を正して頭を下げた俺に気にするなって風に手を横に振って姿勢は楽なものにしろってジェスチャーをしてくれた。
畏まって頭なんて下げられてたら気まずいか……。
「家族も男に男のストーカーってどうなんだ?って思って初手が遅れたって言ってたんでしょ?こっちもそんな感じだよ。だから勝田はそこまで気にしないで。寧ろ対応が遅くなってごめん」
いやいやいや!全員が全員、何かおかしいぞ?って気付いたタイミングで俺だけが気付けなかった事が問題なんだ。
これじゃたっきにのーみそお花畑って言われても仕方が無い。
「ウチの部の奴らも他の部の奴らもあの飲み会で勝田が一緒に飲んでた相手を誰だろう?って思ったらしいんだよ。それなのにあんまり気にしなかったって言ってて、二次会の参加者全員が口を揃えてそんなことを言うだなんてそんな事ある?って思ったよね。普通に。酒に滅茶苦茶強い経理部の佐伯さんに少し突っ込んで聞いてみたんだよね。そしたらなんか悪酔いしたみたいで記憶が曖昧だって言うじゃない。ビックリしたよ」
「記憶が曖昧……」
「耀君に何に薬が盛られたところを見たのか確認したいな。もしかしたらウチの会社の社員へ向かっての参加者全員プレゼントかもしれないからさー」
先輩の目に鋭い光が宿る。
参加者全員プレゼントって、もしかして全員までいかなくても大多数が口を付ける物か箸を付けるものに薬を入れたって事?だとしたら実際は薬の量はそれなりにあって、たまたま俺が運良くそこまで摂取しなかったのか、大人数に飲ませたせいで薄まったのか……。
あの時の耀ちゃんの判断は本当に正しかったのかもしれない。俺を追いかけるのを優先して証拠を回収し損ねたって言ってたけど、俺が飲んでたグラスとかなら紙ナプキンにでも染み込ませて追いかければ俺達は店を出る時に会計も済ましただろうし、自分が会計をするにしてもそこまで手間じゃないはず。なら、そう簡単に回収出来ない物だった?
俺は慌ててグループチャットを立ち上げて耀ちゃんを名指しして今の話を流した。
そんな俺を眺めてた先輩がスーツの胸ポケットからレコーダーを取り出して、黙って俺の方向へ向けて差し出した。
「えっと?」
同じようにスマホを取り出して『中のデータを家族へ転送して。大将から見た事ない客が来たって合図が来た』ってメッセージを飛ばしてくる。
受信したメッセージを読んでついうっかり店内を見渡しそうになって、そんな俺に気が付いた先輩がテーブルをタンッて軽く指で弾いた音でハッと我に返る。
これだから俺は……。
自分のダメダメさにガックリしながら音声データをナンバリングされた順にグループチャットへ流した。
「美味しかったなー。ここオススメなんだけど出せる数決まってるから本当は教えたくなかったんだよ、他の人に教えないでよー」
『多分、あれストーカーだからそろそろ出るよ』
「あ、はい。美味しかったです。教えないですよ、俺も食べたいですもん」
『わかりました』
「ここ知り合いの店だから俺出すわ」
『カウンター。入口から二つ目の席』
「え、悪いよ」
『うん』
「まーまー、格好つけさせてよ」
『絶対に目を合わせるなよ』
「わかった。ありがとうございます」
俺と先輩はチャットを閉じて立ち上がる。
「大将ごちそうさま!」
先輩について入口脇のレジへ向かう。
店はそんなに広くないから、カウンター席のお客さんの背中のすぐ後ろを歩く事になる。先輩が教えてくれた席には俺くらいの歳のスーツの男がお茶を手に取るところだった。
目を合わせるなって言われてたから俺は意識して先輩の背中を見つめて早足で追いかけた。
「……?」
なにか引っ掛かった。
彼の後ろを通り過ぎた時によく知った香りがした気がする。有名なブランドの香水だと思うけど、どこで嗅いだのか思い出せない。
ゆきちんのはウッディ系だし、耀ちゃんとたっきは柑橘系、みっちゃんと秀ちゃんはムスクとかアンバーみたいな甘みを感じる匂いだし、千春君はスパイシー系だけどタバコの匂いと混じってるのか独特の香りだ。
でも、この香りを俺はどこかで嗅いだ事がある。
「行くよ?」
声をかけられて我に返る。
人の良さそうな大将にごちそうさまと美味しかったですを伝えて、外で待ってる先輩を追いかけた。
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