34人が本棚に入れています
本棚に追加
これから仕事のある千春君と耀ちゃんと別れて会社へ戻る。
先輩は会社に戻る道すがらながらこの辺りとこの辺り、あとここは危ないから道路側を歩かないようにとか、諸々のチェックポイントを教えてくれた。
先輩が良い人なのは知ってたけど、なんでこんなに親切にしてくれるんだろう?
会社のエレベーターホールで目の前で二人で高層階から降りてくるエレベーターを待ちながら疑問がふわりと頭をかすめる。
口にする前にそんなこと承知の上って風にスラリと言葉が流れてきたけれど。
「俺の弟もストーカーの被害者なんだよね」
一瞬頭がフリーズする。
「え?」
エレベーターに乗って、二人きりの空間で何て返ししたら良いのか頭の中で色んな言葉が浮かんでは消えていく。
「子供の頃の話ね。さっきの寿司屋の大将が弟の友達でさ、変なおじさんがいつも弟見てるって気が付いてくれて。親もまさかって思ったけど念の為に警察行ったり、小学校とか自治体とかに言って、結果としては親の判断は的確でさ。危機一髪で犯人は誘拐未遂でつかまったんだけどねぇ」
「だけどぉ?」
「いやー、男がストーカー被害?そもそもそれってストーカーなの?って当時は今よりもずっと警察も周りも冷たかったんだよ」
知らずに胸のシャツをギュッて握りしめていた事に気が付いて、力を込めすぎて白くなった指から力を抜く。
エレベーターはあっという間に会社のある階について、降りる先輩についてのろのろと足を進める。
「俺さ、悔しかったんだよ。だって弟は子供じゃん?しかも何の落ち度もないのにだよ?怖い思いした上にそんな風に扱われてさ。だから、少なくとも俺は俺の手の届く範囲でそういう犯罪が起きた時は、被害者の味方になるって決めてるんだよね」
「そうだったんだ……」
「そうそう。ま、随分昔の話で弟も今じゃ世帯持ってるし、誰もこんな話したりしないけどね。でも俺もその時子供だったからさ、キョーレツにその悔しさが残っちゃってんだよね」
先輩が会社の入口三歩手前で立ち止まって振り返る。
物凄く真面目な表情で。
「あんなの心への暴力でしかない」
気圧されて言葉を失って先輩の顔を見つめるしか出来ない。
ふぅ……て先輩が柔らかい表情を作ってくれて、こちらも体から力がゆるゆると抜けていく。
「だから勝田の事も見過ごせなかったんだよね。何かおかしいなってって思っても家族に連絡つかない時には俺に連絡していいから」
「あ……ありがとう!」
「俺オッサンだから耀君とかたっき君みたく大立ち回りは出来ないけど、その分頭の方では力になるからさ」
俺はぶんぶん首を横に振る。
その気持ちだけで充分嬉しい。
嬉しくて、涙が出てくる。
「お!?泣くなって〜」
小さい声でたっき君にぶっ飛ばされるって冗談めかして言うから、俺は泣きながら笑ってしまった。
先輩の動きは素早かったけど、会社の動きはそれ以上に素早かった。
顧問弁護士へ報告して法的手段の確認をして警察へ被害届を提出した。それからビルの管理会社へ状況報告の上、他所のフロアへの立ち入り制限と警備員の巡回強化が今日の内にされてしまった。
こんなに状況って変わる物?ってくらいに。
「勝田君、大変でしょ?ウチら前に守ってもらってるし今度はこっちの番だから出来る事があったら言ってね」
「この際だから言っちゃうけど、勝田君ていつも遠慮しちゃってるでしょ?遠慮とかしないでよ」
「俺達も薬飲まされてたとか恐怖しかないよな。そんなヤバい奴捕まえねーと」
同じ部の子だけじゃなくて、話を聞いたらしい社員が俺に協力してくれるって声を掛けてくれる。
飲み会で薬を盛られたのは俺のせいとか思われちゃわないかなって内心怯えていたけど、そんなことは無かった。少なくとも表向きは。
少数精鋭で回してる会社だから、身内感が強いんだ。
俺は入社して長くないし、言ってしまえば先輩ばかりだから少し萎縮してたのと、俺本来の波風立てずに生きていこうとする性格が皆と間に目に見えない遠慮って壁を築いてたのに今更ながら気が付いた。
先輩に気を遣うのと、遠慮して曖昧に笑って過ごすのは全く別物だ。
こうなってみて初めて思い知った。
俺が傷付くのを恐れて背を向け続けていた世界は、耀ちゃんが人間の可能性を信じて怠慢に腹を立てるくらいには悪意と同じかそれ以上の善意が存在していたんだって。
そして、俺の為にって差し出された手はどれもあたたかかったんだって。
最初のコメントを投稿しよう!