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耀ちゃんもたっきの尾行自体に問題は無いって言う。
問題があるならストーカーの希薄過ぎる存在感の方で、そうと最初から知らなければ彼の行動がおかしいだなんて分からない。そういう〝普通〟の人間なんだって。
そういえば、俺も顔を思い出せない。あんなに近くで見たのに。
俺は確かに元から人の顔を覚えるのが得意じゃないけど、それにしたって異常なくらい思い出せない。薬のせいって思ってたけど、もしかしたら特徴っていう特徴が無いのかもしれない。
特徴……。
そういえば先輩が同じビルの人を警戒してた。
いつもは他人をそういう風に見てないから一々覚えてないみたいな事を言ってたはず。
「翔平?」
黙り込んだ俺を向かいに座る秀ちゃんが見つめてくる。
なんだろう?
あと少し。
「あ、匂い……」
そうだ。
嗅いだことがある匂いがした。
「どこで嗅いでるんだろ?」
俺の脳内会議は皆に伝わってないけど、皆黙って俺の独り言を聞いてる。
「家族の誰の匂いとも違うし、会社でもない……」
どこで?
あの夜と同じ匂いをどこかで……。
香水なら同じ匂いの香水を使っても個々人の体臭と混ざって違う匂いになるはず。
「そっか……」
全員が俺に注目する。
「あのマリンノート、香水そのものの匂いだ。人がつけてるのに香水そのものの匂いだなんて珍しいっていつもエレベーターで思ってた」
そうだ。
エレベーターだ。
よく会う上のフロアの人から香る匂い。
よく会うから、挨拶をする程度の仲になった同じくらいの歳の男の人。
「マリンノート……あ、そいつや!俺が蹴っ飛ばした時に古臭い匂いがしたわ」
「翔平はどこで嗅いだん?」
「……会社の入ってるビルのエレベーター。いつも同じくらいの時間にエレベーターで一緒になる人が居て、その人がさしてる匂いと一緒」
全員がそれだ!って顔になった。
これは鈍い俺でもわかる。
彼なら俺の後をつけるのは容易だったと思う。だって、同じ時間に会うって事は同じ時間に着いてる電車を利用してる可能性が高いし、合法的にビルの内部を移動できる。
それに加えて俺が好んで使うバッグは手を突っ込んで直ぐに中身を出し入れできるように真ん中にしかチャックがついてない。鍵は取り出しやすいようにバッグ後ろの方に大きめのキーホルダーを付けて入ってる。
夜の住宅街に鈴の音は響くから音が鳴らない分、見失わないようにぬいぐるみのキーホルダーは大きめ。それがバックの後ろから覗いてるわけでしょ?それが鍵だって気が付きさえすれば、朝のエレベーターで俺に気付かれずに鍵を抜き出して帰りに後をつけて混雑してる電車かどこかで俺のバッグへ戻す事はとても簡単だっただろう。
「俺が鍵を盗まれたんだ……」
俺の仮説を話す。
話しながら、これはほぼ間違いないと確信していく。
そうでもなければどうやってこの家へ侵入できたのかって。
皆そこだけは分からなかった。合鍵を作られた可能性には思い至っても、いかに鈍くても平日は毎日鍵を開けて帰ってくる俺に気が付かれずにどうやって鍵をスったのかが分からなかった。
俺が鍵を盗まれたので無ければ他の家族だけれど、外国に住んでる千春君や月に一、二回しか帰ってこない秀ちゃん、一人暮らしの上に売れっ子アーティストで第三者からの目が厳しい耀ちゃんはまず除外。というか、盗みようがない。
千春君や耀ちゃんがパパラッチを放置してる理由はここにある。
二人とも派手な生活はしていないし、見られて困る行動も無い。家族の事は本人達がその口である程度は公表していて、その上でそこは弄るなとやんわり牽制しているから改めて記事にされる事も無い。もしされたとしてもゆきちんが止める。第三者として張り付いてるパパラッチは逆に安全装置として機能しているらしかった。
俺を助けてくれた時に耀ちゃんはストーカーを蹴り飛ばしたけど、その前にしっかりパパラッチさんに怪しまれない様に巻いてたらしい。追いついてきた時には事が済んでるだろうと踏んで。それに万が一、ストーカーが刃物を振り回した時に証拠を押さえられると思ってたらしい。
次にゆきちん。これはもう無理。
俺達がゆきちんのスペックを知ってるのは当然でストーカーが知ってるとは思わないけど、ゆきちんは車通勤だ。仕事柄どうしても車が必要だからそうしてるんだけど、駅前に借りている駐車場から家までの往復の間に盗んで合鍵を作って戻さなくちゃならない。普通に考えてそれは無理だろうね。
みっちゃんは電車通勤だけどアパレルブランドの経営をしてるから定時って概念が無い。
事務所の就業時間はあるにはあるけど、来客や客先へのアポイントメントが無ければ出社せずにリモートで済ませてしまう事が大半だし、監査目的で予告無くお店に顔を出す事もある。
前に千春君の生活スタイルが判り難いって言ってたけど、みっちゃんだって中々のものだと思う。
いつ家を出ていつ帰ってくるのか分からないみっちゃんから何とか隙を突いて鍵を盗めたとしても戻せない。一番最初に帰ってきて夕飯の支度をするみっちゃんに気が付かれないように鍵を戻すのは至難の業だと思う。
最後のたっきだけど、これも無理でしょ案件。
半径一メートル以内に入った時点で悪意を察知される。もっと詳しく言うなら、たっきの手の届く範囲は全て反撃圏内だ。
そんなたっきの鞄はしっかりとチャックで閉じられている上に上から蓋というか垂れを被せてキッチリと閉めるタイプだ。盗もうとしても手にぶら下げるタイプじゃなくて肩がけのしっかりしたやつだからほぼ無理だろうね。
たっきの事をよく知らなくても、職業を知ればまぁ納得の鉄壁さ。そこから鍵を盗んでまた戻すなんて出来っこない。
ストーカーはたっきを調べようとしたみたいだけど、逆にたっきにそれを見透かされて対峙しそうになった事があったらしいからもう盗もうなんて気も起きないんじゃないかな。
となると、鍵を盗まれたのは俺しかありえない。
誰も鍵を無くしてないんだから戻されてる。なら、まぁ、俺だろうなぁって自分でも思ってた。
「俺の部屋に隠しカメラなんかあった時点で怪しいとは思ったけどな」
「そうなの?」
「正直、俺の部屋には無いと思ってた」
耀ちゃんが渋い顔をした。
そういえばゆきちんも撮られてると思ってなかったって言ってた気がする。知ってたらもっと早く止めに入ってたとか。
「あっても盗聴器くらいやって」
「なんで無いと思ったの?」
「一人暮らしでほとんど家居らんのに何撮るん?それに画像は要らんやろ。翔平の部屋なら解るけど他の男見て何が楽しいねん」
「あ……」
そっか。
俺の部屋は……あー、考えたら負け。
でもまぁそうだよね。好意を抱いてない同性の部屋なんて覗いても何にもならない。
覗き趣味でもない限り。
もし俺と耀ちゃんが付き合ってたなら見たかったかもしれないけど、その時にはまっっったくそんな気配は無かったし。
「せやなぁ。全員の部屋にカメラがあったから、あれ仕掛けた時には翔平の部屋を特定出来んかったって事やろなぁ」
「えーっ!見るからに翔平の部屋ってわかるやん。俺等全員そんな汚くしてへんもん」
「たっき!」
「ほんまやろ?」
あーとーでシーバーくー!
「余裕が無かったんやろな。一番最初に部屋と玄関に盗聴器とカメラを仕掛けて、そっから生活パターン見ながら増やした。俺の帰宅時間にはストーカーは時間が自由にならへんかったから、家に侵入出来るタイミングが限られた。そんでもって片っ端から仕掛けて回ったってとこやろ」
「みっちゃんが居ない時間帯って、定時ある人には無理じゃないの?」
「俺は出来るぞ」
びっくりしてゆきちんを見つめた。
出来るの?
「外回りの時に多少なら遠回り出来る。現場や打ち合わせ行くって職場出て、実は違うとこを間に挟んでも誰に見咎められる訳でもないしな」
「俺もやろうと思えばできるよ」
「秀ちゃんも?」
「昔一緒にお昼食べたの覚えてない?」
「あ!」
そうだ。学生の頃、秀ちゃんの会社の近くまで行きはしたけど一緒にお昼を食べた事がある。
そっか。お昼休みに急いで現場まで行けさえすれば、事務職でも不可能では無いのか。
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