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ある時に気が付いた。
俺が会社へ戻ってちょうど報告書を書き終えるくらいの時間に勝田さんは会社を出る。そして一階に入ってるコーヒーチェーンで背の高い男と待ち合わせをして帰っていく。
学生に見えるその男は勝田さんとの距離が近くて、今にも肩を組みそうな感じで親しげにしている。勝田さんも会社の連中と話すよりもくだけた表情を見せていて、なんでか気持ちに漣が立った気がした。
夏も近づくと湿気と気温が上がって、ガラス張りのエレベーターは蒸し風呂に近くなる。
首筋が少し汗ばんだ勝田さんから少しだるそうに「おはようございます」って言われてつい変なところが反応しそうになった。
勝田さんは暑さのせいかじんわりと汗をかいていて、髪の毛がぺったりと張り付いている項はいつものにこぉって笑う幼さの残る顔からは想像出来ない艶めかしさがあったんだから仕方が無い。
「朝から暑くて嫌ですねぇ」
「そうですね」
たったこれだけの会話でも勝田さんと話せるのが嬉しいと感じるようになっていて、そろそろ本格的にまずいなって思ってはいた。
「昨日帰りに見かけたんですけど、ご兄弟と待ち合わせですか?」
つい余計なことを口走っていた。
内心焦った。
急になんだ?って思われる。
「よく兄弟てわかりましたね。あれ弟なんですよぉ。うち子供が三人いてその末っ子で」
花が咲くみたいににっこり笑って答えてくれた。
似てないなって思ったけど、似てない双子だって居る世の中なんだから勝田兄弟が似ていなくてもそういうこともあるだろう。そんなことよりもいつもよりも三割増でふわふわにこにこと笑う勝田さんの笑顔に、少しでも距離が近くなったような気がしてそっちの方がずっと優先順位が高かった。
「あ!降りなきゃ。じゃあ失礼しますね」
「はい」
エレベーターが一階から十一階まで上がる時間はそんなに長くない。
服の裾をヒラヒラと涼し気に靡かせながら去っていく背中を眺めていたらドアは何事にも無かったかのように閉じて、たった一階分を上ったところでポンッと軽快な音を立てて開く。
そこには憂鬱な灰色の廊下が会社へと続いている。
本格的な夏になると勝田さんは暑いのか派手なアロハシャツっぽい上着にインナーを着てくることが増えた。
たまに着てる紺色のサマージャケットは来客だか客先訪問用だか知らないけど、それなりにフォーマルには見える。それでもサイズが大きいみたいで歩く度にひらひらと揺れるその格好は彼のふわふわとした雰囲気によく似合っている気がした。
「どうかしました?」
つい、今日はサマージャケットなんだなって見つめたら小首を傾げて見上げられてしまう。
この身長差は抱きしめたりキスをするのにちょうどいい気がした。
「何色っていうんですか?」
なんて答えてもポジティブに受け取ってくれるのはわかっていたから、この頃にはもう焦ることはなくなっていた。
一緒にいる時間はわずか数分なのだから、変な感じになったとしても明日にはリセットされているだろう。
「あーこれ?インディゴブルーっていうんですよぉ。俺、家では青い色担当なのでつい私服も青い色選んじゃうんです」
色の担当なんかあるのか?
俺には兄弟もいないし親もこだわりがないから別に色を分けて差別化を図るようなことはなかったな。
「そうなんですね」
「そうなんですよぉ。うち家族多くて。あ!着いちゃった、失礼しますね」
「はい」
家族が多いのか。
去っていく後ろ姿は相変わらずふわふわひらひらしていて、やっぱり駄菓子とかお菓子みたいな甘い匂いがしていた。
夏休みに友達とぶらぶらと買い物をしていたら、百貨店で偶然勝田さんを見掛けた。
声を掛けようか迷って、「どなた?」って顔をされたらお互い気まずいし、今日は私服でスーツじゃないし髪型だって通勤時とは違う。気が付かれない可能性の方が高いから止めた。
勝田さんの隣には当然のように『弟』が居て、もう一人背の高いガタイのいい男が笑っていた。友達かもしれないけど、歳が離れてるからあの人も家族なのかもしれない。
「知り合い?」
「同じビルの人。朝エレベーターで一緒になるから挨拶するくらいの仲」
「あー居るよな、そういう人」
「一応声掛けようか迷ったけど誰?ってなったら気まずいし」
「あるあるだよな。俺もこの人いつも見るなーって人いるし、挨拶もするけど外で声掛けられてもわかんねーわ」
「だよな」
覚えて貰えなていない可能性が高いことに心の中でがっかりした。
皆そんなもんなんだと思いはしたけど、勝田さんの視界に入りたいと何となく思った。
勝田さん達は香水のコーナーに居て、あの駄菓子のような匂いの香水はなんなんだろう?と気になった。
視線をやってしまったせいで友達まで視線を向ける。
「そういやお前なんにもつけてないよな?」
「面倒だから」
「たまには見てみる?」
勝田さん達は会計を済ませて売り場を出てしまっているし、まぁたまには良いかと売り場へ足を運ぶ。色んな香水の匂いが混ざってかなり気持ちが悪い。
さっき彼が立っていたブースには細長い青色の小瓶が飾られていて、確か彼は青い色が自分の担当色だって言っていたなと見つめてしまう。
「何か気になった?」
友達がその瓶のサンプルを開いた途端、彼が纏っているような駄菓子の香りが辺りに散らばった。
あの駄菓子の香りは香水だったのか。
「なにこれサイダーみたいだな」
「サイダー?」
「飲み物の」
「あぁ、あるな」
どっちかと言ったらラムネだ。
その香水が気になりはしたけど、接客に来た店員が言うには香水はつける人間によって匂いが変わるらしい。あのラムネ香水も本当はもっと甘くてフローラルになるらしかった。
勝田さんが付けるから、あのラムネになるのか。
俺が持っていてもあの匂いは再現出来ないし、必要ない。必要ないけど、暑いし、外回りで汗臭いのもどうかと自分に言い訳して一つ無難な香りを買ってきた。
友達も自分が使ってる物が減ってきてるからと買っていたし、少しくらい気をつけてもいいだろう。
「それ、少し古くね?」
「無難かと思って」
「無難ではあるかもね」
興味が無さすぎて一昔前に流行った匂いを買ったらしいけど、臭くなければ何でも構わなかった。
休み明けから付けてみはしたけど、店員が言う匂いの変化なんて全然無くて勝田さんみたいな弾けるような爽やかさとはだいぶ違う。
帰りに勝田さんを見掛けて、ついあとをつけてしまった。
何をしているのかって自分でも思ったけど、頭とは正反対の体は彼を追いかけて行く。
彼と話してどうなりたい訳でもなかったし、友達になりたいわけでもなかった。
ただ、もう少し視界に入りたいと思った。
決定打が打ち込まれたのはいつだったか。
彼の夢を見た。
彼と寝ている夢を。
朝起きて、だるい体と汚れた下半身を見てげんなりした。
げんなりしながら会社へ向かって、また彼の背中を見つける。
「おはようございます。今日は秋晴れで気持ちいいですねぇ」
「……そうですね」
彼の笑顔がまともに見れない。
少し高めの声にゆっくりした話し方。秋になって彼は眼鏡からカラーコンタクトに変えたらしくて少し眩しそうに俺をみあげるのが可愛らしいと思うようになっていた。
夢が決定打だなんておかしな話だけど、意識してしまったら止まらなかった。
勝田さんと付き合いたい。
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