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その3日後、12時少し前に久保田さんが総務部にやってきた。
「今、横幕社長と仕事の話が終わったところなんです。綾愛さんとランチに行きたくて寄りました」
みんながいる前で、そんなことを堂々と爽やかに言ってのけるものだから、周りが騒つく。
せめてもの救いは、部長が席を外してたことね。
聞かれなくて良かった。
「あの、久保田さん、父は何も言ってませんでしたか?」
ちゃんと断ってくれるように頼んだんだけど。
「綾愛をよろしくっておっしゃってましたよ」
はぁ!?
私は父に怒りすら覚えたけれど、こんな人前でそれを吐き出すわけにはいかない。
私は、ぐっと言葉を飲み込んだ。
と、そこへ、席を外していた部長が戻って来た。
「ん? 綾愛さん、お客様?」
総務に来客なんて、珍しいから、気に留めるのも無理はない。
「あ、はい、いえ」
私はなんて説明していいか分からなくて、どちらともつかない返事をした。
部長の首から下げたネームプレートを見た久保田さんは、いつもの爽やかな笑顔で部長に向き直る。
「森下部長ですね。日の出銀行の久保田と申します。この度、綾愛さんと結婚させていただくことになりましたので、ランチを誘いに来ました。プライベートでお伺いしてますので、どうぞお構いなく」
は!?
結婚の承諾なんてしてないし!!
口元まで反論が出かかったけれど、ここでそれを叫んでしまえば、久保田さんの立場がない。
私は、はらわたが煮え繰り返るような思いで、言葉を飲み込んだ。
「それは……、おめでとうございます。どうぞお幸せに」
驚いた顔した部長は、お祝いの言葉を口にする。
おめでとうなんて、部長にだけは言われたくなかった。
私は、今度は怒りよりも涙を必死で堪える。
「じゃあ、綾愛さん、行きましょうか」
久保田さんはそう言うけれど……
「すみません。今日はやらなきゃいけない仕事があって、行けないんです。ごめんなさい」
そんな仕事はないけれど、私にはそれしか言い訳を思いつかなくて、仕事のせいにした。
「そう……ですか。残念ですが、仕方ありませんね。次回は、ちゃんと連絡してから、伺いますね」
久保田さんは、そう答えると、軽く会釈をして去っていく。
悪い人じゃない。
悪い人じゃないけど、好きな人じゃないんだもん。
「綾愛さん、大丈夫? 仕事なら他の人に代わってもらって、今からでも……」
部長のその気遣いが憎らしい。
「いえ、大丈夫です」
私は、ぺこりと頭を下げると、そのままトイレに駆け込んだ。
だって、あの場じゃ泣けないから。
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