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十五
小栗は自分の携帯電話にも付けているオッドアイの灰色猫、ロシアンブルーのストラップを誰にも気づかれないようにチラリと見る。やはりどこからどう見ても加藤鑑識官が掲げているストラップと同じだ。見間違えようのないデザインに言葉を失う。
会議の後、部長にだけストラップの持ち主がおそらく清水穂香の物だろうと伝えた。小栗にとって自分の彼女を容疑者呼ばわりしたくはなかったが、このまま隠していてもいずれバレてしまう可能性があったから仕方がない。
部長も小栗の気持ちを察してか、清水穂香についての調査を小栗一人に任せてくれた。くれぐれも情に流されぬよう慎重にやれと釘を刺されて。
◆
仕事が終わり、早速調査を兼ねて穂香に会いに行く。携帯電話を買ったら電話がかかってくる約束だったけれど未だ電話がないから好都合だ。直接会いに行っても不自然ではないだろう。
彼女の住んでいるアパートの玄関前に立ち、深呼吸を一つしてからチャイムを鳴らした。部屋の明りはついているから不在でもないし、一応起きてはいるのだろう。
しばらく待つとゴソゴソと玄関を開ける音がした。チェーン越しに顔を覗かせた穂香。白々しく「よう!」と手を挙げる。
「来るなら来るって言ってよ」
起きたばかりで少し機嫌が悪いようだ。ボサボサになった長い髪を掻きながら玄関のチェーンを気だるそうに外す。
「携帯買ったんか? 全然連絡来ねえし、大丈夫かなあと思ってさ」
「あ、箱から出すの忘れてた。なんか設定が面倒臭くて……寝ちゃってたわ」
穂香らしいと言えば穂香らしい。こういうところはズボラで適当だ。特に機械設定の苦手な彼女は、新しい電化製品を買う度に小栗を頼っている。説明書を読むことさえしない。
「設定って、バックアップ取ってあんのか?」
「いやあ、どうかなあ。分かんないんで見てください。お願いします」
パソコンをテーブルに置くだけして、箱から新しい携帯電話を取り出した。あとは任せたという風に携帯電話をパソコンの横に置き、お茶を入れに台所へと向かう。いつもの事ながら自分で出来ないものかと呆れてしまう放置状態だ。機械音痴とは正にこういう人物のことを言うのだろう。
バックアップを調べてみると、新しい音楽をダウンロードした履歴があり、比較的最近のデータが残っていた。
「なあ。携帯ってどうやったら失くすんだ?」
「さあ? 休憩時間まではあったような気がするんだけど。どこかへ置きっぱなしにしちゃったかなあ」
本人も不思議そうな顔でお茶を注いでいる。機械が苦手だと言っている時と同じ表情だ。嘘をついているようには見えない。
「穂香ってさあ、そういうところあるよな。ズボラというか、不注意が多いっつうか……そんなんで仕事出来てんの?」
「当たり前でしょ。仕事は別よ。メモとチェックは忘れずに、患者の容体だってしっかり見てるんだから、バカにしないで」
仕事には誇りを持っているようで、そこを弄られるとすぐ怒る。だが、そこがいいところでもあるのだが。
「悪い悪い。ところで、明日から仕事どうなんの?」と話をすり替えた。
「当分の間、感染症センター救急棟が使えないから、三次救急と感染症患者は受け入れないってさ」
「へえ」
「これでしばらく楽できそう。やれやれって感じ。でも他の病棟に助勤行かされるんだろうな。それも嫌だなあ」
一人でブツブツと文句を言っている。どう見ても火事を起こした犯人のようには見えない。少なくとも穂香にとって何のメリットも感じられないから、疑うにも物足りない。
本当に失くしただけか、犯人に利用されただけだろうか? いや、でもなあ、機械音痴だからこそボイラーを爆発できた可能性もゼロではないぞ。それならまだ疑う余地はある。
「救急棟の仕事好きだったんだ?」
「当たり前よ。あんなやる気が出る仕事はなかったわ。まあ忙しくて文句言ったり、ろくに休めない時もあったけど、その分、患者から感謝されることも多かったかな」
「でも本音は燃えて嬉しかったりして」
パチン!
その瞬間、平手打ちが飛んできた。凄い剣幕で怒ったとかと思ったら、とても悲しげな表情へと変わる。
そんな穂香がポツポツと語り始めた。原動力は休みやお金じゃなくて患者の心温まる言葉だと涙ながらに。小栗はその話に心打たれ、自分の愚かさにも気づかされた。調査とは言え、少し穂香をバカにしてしまったことを後悔する。もう少し、他の言い方があったのではと思う一方、彼女の本心も知れたような気がした。
黙って携帯電話を復旧させる。
「ごめん。さっきのは冗談」
「分かればいいのよ、分かれば」と機嫌が戻る。
「はい、出来ましたっと」
「ありがとう。さすが真治さん」
お茶をテーブルに置いて、涙目をハンカチで拭いだ穂香は嬉しそうに携帯電話を受け取った。
「今度、また可愛らしい猫ちゃんのストラップ見つけたら買おうね」
ケースとストラップのない携帯電話に違和感があるのか、割れ物注意の荷物を触るような手つきで触っている。
それにしても穂香は、いつも患者に対しては真摯な姿勢を貫いていたな。小栗は自分が怪我をした時に穂香に助けられたことを思い出した。こんなに患者想いの彼女が火事を起こして患者の命を奪うとは到底思えないと思い知らされる。挑発した時のあの怒りと悲しみ、あのビンタは忘れられない思い出になりそうだ。
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