5人が本棚に入れています
本棚に追加
三
ここ感染症センター救急棟で働いている看護師の清水穂香は長い髪を後ろ手に縛り、仕事中は凛々しい眼差しで患者と接しているけれど、普段は気さくでちょっと強気な女だ。医療現場は戦場というけれど、ホントにナイチンゲールのような強い人だと思っている。そんな穂香だけれども今日は何処か違っていた。火事を目の前にして怯え切った弱弱しい少女のような声色だった。あんな穂香の声を聞いたのは初めてで胸騒ぎが止まらない。
恐る恐る小栗は感染症センター救急棟の中へと入ってみた。もう一階の消火は終わったらしく物静かで、中は停電のためか真っ暗闇になり何も見えなかくなっている。ただプラスチックが焦げた悪臭が異様に鼻についた。消火した後らしく火種はまったく残っていないようだが、煙が充満して口にハンカチを当てていないと咽るほどだった。足元にはあらゆる物が散乱し、スマホのライトを当てながらじゃないと危険で転びそうになる。
ただ人の気配はまったくしないため、どうやらみんなもう逃げたか、救助されたようだ。
「誰かいますか?」
奥へ奥へと歩きながら声掛けをしていると、一人の消防士がここの事務職員らしき男の人を抱えて姿を現した。
「奥は危険ですよ」
消防士が俺を制するように言う。俺もすかさず警察手帳を提示し、捜査をしている風を装った。
「ご苦労様です。まだ奥に誰かいますかね?」
「いいえ誰も。この方が最後です」
抱えている男の人をアピールするように消防士が肩を揺らした。
「そうですか……ところで出火原因て何か分かりました?」
「いや、まだですけど。ただ奥の機械が滅茶苦茶溶けてたんで、あの辺が出火原因かと思うんすけど」
「へえ。ならちょっと見てきますね」
小栗はお辞儀をしてその消防士とすれ違おうとした時、抱えられている男が辛そうな顔でもうひとつ教えてくれた。
「この建物、六階の方がヤバかったみたいっすよ。煙が一気に上がっちゃったみたいで」
その男と消防士が溶けた配電盤を指す。確かにビルの火災は配電盤が煙突の代わりとなり、一気に上層階まで煙が回ると聞いたことがある。病院もまさか同じだったとは。
とりあえず現場を確認しておこうと小栗は更に奥へと進んでみた。すると救急の検査室だろうか。血管撮影室と書かれた部屋とCT室と書かれた部屋の中にある機械が高熱で燃えたようで、外装が溶けて黒い穴が開き無残な姿に変形していた。悪臭も酷すぎてこれ以上は近づけない。ただ機械の燃え方からすると、何か地面から燃え上がり朽ちたようにも見える。いったいこの機械たちがどうしてこんな燃え方をしたのか不思議でならなかった。
それにしても酷いありさまだが、ここに穂香は巻き込まれていなかったようでちょっと安心した。
最初のコメントを投稿しよう!