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七
本館一階で夜を過ごした患者たちは、朝方、重症度に合わせて空いている病棟へと転棟された。一階に残っている人たちは軽度の患者のみ。それぞれが毛布にくるまりソファーで楽しそうに談笑している。
ちょうどそこへ車椅子を戻しにやって来た穂香の姿も見えた。まずは彼女に昨日の様子を尋ねるとしよう。
「穂香。ちょっと昨日のことで訊きたいことが」
「え、私にも事情聴取?」
「いやいや。そんな堅苦しいもんじゃなくて」
手を振り、否定した。そして小栗は漠然と昨日の火災前の様子を訊きたかっただけだと耳元で囁く。この時間は別に刑事というよりは彼氏彼女という立場で談笑できればそれでいいと。
「私も夜勤で来ただけだから、その間だけしか分かんないだけどね」
「そっかあ」
「まあ引継ぎはあったから、ちょっと待って」とメモ帳を取り出す。
そしてメモを見ながら教えてくれた。
六階の感染特別室に塩原胡呂奈が入院したけれど、その後に呼吸状態が悪くなり同階にあるナースステーション前の集中治療室へと移されたことや、五階脳卒中ケアの特別室に電子カルテ閲覧禁止の患者が入院したことなど。
「いったい何処の誰なのよ。部屋にネームもないし。……担当医が院長になってるっておかしくない? きっと親族か何かかしらね」
ひとりで納得する穂香は、そのまま次のページを捲った。
四階の終末期緩和ケア病棟には入退院はなく安定し、三階の循環器ケア病棟も同様だったという。
「そう言えばこの火災で三人亡くなったらしいぜ」とおもむろに告げた。
「うそ?」
死亡者は二人だけと把握していた穂香が目を丸くする。
「嘘じゃねえよ。穂香たち、さっきの閲覧禁止野郎を人数に入れてなかっただろ?」
「あ……え? 院長の知り合いを……まさか」
誰とも知らない患者を見逃していたことに、穂香はショックを受け項垂れてしまった。そんな状況では仕方のない話だと小栗も同情する。
話を変えるため時間外について尋ねてみると、救急棟の忙しさは相変わらずだったらしい。ただ特別不審者を匂わす変わった患者や変わった付き添い者などはいなかったと言う。詳しくは事務職員の高見直哉や看護師長の春日井裕子が知っているはずだと。
「サンキュー。じゃあ仕事終わったらメールするから」
手を振り別れようとしたところで、穂香が申し訳なさそうな顔を向けてきた。
「ごめん、真治さん。火事で携帯どっか行っちゃった」
「そうなん? だから……」
昨日の着信履歴を思い出す。確か成宮大学病院送信専用ダイヤルと表示されていたような。
「せっかく一緒に買ったストラップだったのに失くしちゃってごめん。今日、夜勤明けだから携帯買ってまた連絡するね」
すまなそうに手を合わせる穂香。別にオッドアイの灰色猫、ロシアンブルーのストラップに1ミリも思い入れがなかったので気にはしないけれど、穂香の前では一応ショックを受けた顔をしてみた。
それよりも今日は忙しくなりそうだから、勤務時間に迷惑電話だけは止めてくれと伝える。
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