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七章 蛍の光
彼から受けたレイプを告げ口はしなかった。それは彼を庇うためでは勿論ない。私が『いけないこと』をしたのだと私が感じたからであった。
そして、彼女がこのことを知ることで「あなたが覗き見るような厭らしい人間だからよ」だの「ちょっとした『おふざけ』なんじゃないの?あなたがお兄ちゃんを嫌ってるからそう思うんじゃないのかね」と、彼女から発せられる凶器によってズタズタにされるのが目に見えていたからだ。
何故私は、こんな時でもこんなに卑屈なのであろうか…。
思い返せば幼き頃の私は、歌うことが好きで、音楽を聴くことが好きで、歌詞を詠むことが好きで、絵を描くことが好きで、お洒落が好きで、泳ぐことが好きで、たくさんたくさんお話をすることが好きな子供であった。
そんな私の『好きなこと』は、いつしか『悪いこと』に変わり、人目を忍んでこそこそとするようになった。
すると私は、どんどんと私が見えなくなり、代わりに『好きなこと』をしない『良い子』だけがはっきり見えた。
いや、両親の為に…
そして生きていくために…
そう見ようとしたのかもしれない。
彼女にとって…父にとっての誠子は、気が弱く泣き虫で、控えめで、大人しい女の子である。そう思って安心しているのである。絵が好きであることを唯一認めていたことだって、絵を描くことが暗く静かな子供の特徴であろうと捉えていたからである。だから父は私に絵の具セットを積極的に買い与え、彼女もまた描いた絵だけは否定しなかった。それはあくまでも私の『好き』を伸ばすことではなく、そんなイメージを強固なものとするためであった。
よって、それ以外の『外向的』な私については、全て私の『戯言』として扱われた。そうすることが未熟な両親が家族を形成するのに都合が良いからに違いない。
だから私は、あえて合わせてやったのだ。
そして孅い私は生きていくために、そうして何とか生きたのだ。
しかし今回のことで私は気付いた。
私はこんなにも酷い目にあったのに、こんなにも卑屈になっているのは、それは私が『嘘を吐いて生きてきた』からであると…。
私は幼い頃からトイレに行けなかった。それはトイレに行きたいと言えば人様から怒られると、そう感じたからだ。
それは今年中学生になろうとする今でも家族とは関係のない人様と居たって、トイレに行きたいとは言い出せない。
そんな私だからトイレでさえ、こそこそと人目を忍んで行くのであった。
『こそこそこそこそ…』と。
私が私を汚いと感じるのはこれであった。
『こそこそこそこそ…』
昔から私は、私自身を上から眺める時があった。上にいる私は、下にいる私がトイレに行くことを『悪いこと』だと感じて、我慢してクネクネと踠いているのを見ていた。そんな姿に上にいる私は、憐れみと苛立ちを覚えた。
トイレは自然な行為であるのに、こそこそとトイレに行くものだから、そんな漸くの思いで用を足している下の私の姿が、とても下品で汚なく見えていたのであった。
『もうあなたは…この世には居ないわね…』
上から眺める私はそう思うのであった。
だからレイプされた時だって、きっと同じように感じたのだ。
人目を気にして自分の感情に嘘を付き、地味で大人しい誠子を演じて生きている…。
もうそんな演技から卒業しようと思った。
本当の感情は、明るくて、ペラペラと喋って、面白くて、よく笑って、華やかで、可愛くて…
そしてもっと甘えたくて…。
………愛されたくて。
今『蛍の光』を聴いている。
【蛍の光 窓の雪 書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く 】
入学式に満開の桜の木の下で両親に挟まれて笑顔で記念写真を撮ったのであろうか…。
運動会では両親が揃って熱心に声援を送ってくれたのだろうか…。
授業参観日にチラチラと後ろを見ると、笑顔のお母さんが手を振っていたのだろうか…。
遠足では太陽が燦々とあたる眩しい昼時に、楽しげに弁当を広げてお互いの弁当を見せ合いでもしたのだろうか…。
楽しい友達…
甘い思い出。
ワクワクした前夜に…
ウキウキした修学旅行。
そんなキラキラと輝く小学校の六年間を多くの子供が惜別の思いを込めて今、聴いているのであろうか…。
しかし私はそうではない。
【雪のように冷たく、窓を眺めるだけの悲しい月日で重ねていった偽りの書と別れ、感じるままの本書を持ってこれからの人生を行く…】
『蛍の光』の歌詞は、私にそんな思いを抱かせた。
『真っ暗なこれからの人生を
誠子という名の蛍が
心という名の優しい光を放ち
短し命を静かに…』
私は今日…小学校の卒業式であった。
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