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十章 友達
よくよく考えばこれまでと同じであった。
私はいつも一人で昼食を取り、昼休みには一人で過ごして…。
授業だって、みんなについていけないものだから一人だけ茫然としている。学校帰りには一人で遠回りして見慣れない住宅街をゆったり歩いたり、馴染みのない公園なんかでブランコに揺られて夕焼け空を恨めしそうに眺めたものであった。
故に今、周りから無視されて孤立している状態は、いつもの私の状態に戻ったに過ぎなかった。
…寂しくはなかった。
むしろこの状況に居心地の良さすら覚えていた。『自分の好き』に没頭し、『自分の世界』に心酔出来るのであるから…。
きっと私を嫌っている者たちは、私の孤立を『してやったり』と思っていることであろうが…。
しかしそれにしても、孤独な人間には人より考える時間がより多く与えられるものである。私は、自分というものについて否応なしに考えを巡らせることになった。取り分け先日啓子に言われた『私が助けてくれない人だ』と言われたことについては、深刻になるほどであった。
私には啓子が言うように人を助けるほどの余裕も力も無いのである。従って人は助けてくれる人を望むものであるとするならば、私のような冷たい人間は人から望まれることは一生ないのである。
しかし自我が芽生えた今の強気な私は、そのことに反発もしたのだ。そもそも私が人を助けるかどうかは私の自由ではないのかと…。私だって困っている人が大切な存在であれば当然に助けるであろうし、そうでなければそこまでしないであろうと。
それを『我が儘』だと言い切り、現に今もこうして近付いても来ない啓子には幻滅していた。
(友達なんていらない…。
必要とすら感じない…)
このことは、そう終わらせたのであった。
──キーンコーンカーンコーン──
ようやく終わった。
さっさと帰りたかった私は、誰よりも早く教室を飛び出し下駄箱へと向かった。
しかしそうではなかった。
私の下駄箱の前には聡美と深雪、それにリーダー格の背の高い由美子が一塊となって私を睨み付けていた。私は一瞬牢籠いだが、平静を装って自分の下駄箱の中の履物に手を伸ばした。すると、深雪が私の肩を突き飛ばす勢いで掴んだ。私は動揺のあまり一気に全身に力が入ると縮込みながら小刻みに震えた。「あんたさ…ちょっと来てくんない?…お話がしたいの」虚ろな眼差しの由美子は、腕組みをしながら顎を突き上げて何処か暴力的な様ではあったが、ゆったりとした口調でそう言った。私は俯きながら左手の震えを右手で抑えた。そんな私の両手のひらは汗で濡れていた。
私はそのまま連行された。
学校の裏山の奥まで来ると、三人は私を囲んだ。そしてニタニタとした気持ちの悪い笑い顔で嘗め回すように私を見つめた。私は未だ小刻みに震えており、身動きが取れなかった。
「聡美…言ってやんなよ」
ここまで言葉一つも発しなかった聡美は、由美子にそう促されると私の目の前に移動した。そして私をじっと見つめた。私は聡美を下から恐る恐る見つめた。「誠子さ…なんでみんなに嫌われてるか…わかってる?」聡美は声を荒げることなく冷静にそう聞いてきた。
わからなかった…。
啓子からは『私は助けてくれない人』だからだと伝えられてはいたが、それがこれまでの私の行動の、どの場面のことを指しているのかはさっぱりであった。
ただ自分で考察した結果わかったことは、私には人を思いやることがなく、周りから『冷たく我が儘な人間』として見られていたということであった。
「聞いたって無駄だよ。こいつ、啓子にしか話せないみたいだからさ…」深雪がそう言った。
私はいつものように『頭が真っ白』となった。
すると聡美は、より身体を近付けてきて私の肩にそっと手を置いた。
「誠子…教えてあげる。
あなたいつも自分のことばかりでさ。
私が好きなアイドル知ってる?
私が好きな歌手や曲…知ってる?
私ね、あなたに何度も教えたの。
それなのにあなたはいつも自分の好きなアイドルや歌手の切り抜きばかり見せてきて…。
最初から私になんか興味なんて無いんだろうなって思ってた…」
聡美はそう言って目を赤らめていた。
私は息苦しさを覚えた。
私は私の好きなことに執着するあまり、こうして人を傷付けてしまっていたのかと…。それでも私はもう自分を誤魔化すことはしたくないし、演技して生きていたくはなかった。
人の為に…
…もうごめんであった。
そんな思いと、今ここで私を責めている聡美の悲痛な言葉に挟まれて、私は息苦しかったのであった。
「ねぇ、誠子。きっとあなたはいつもそんな調子だから覚えてなんかいないと思うんだけどね。
修学旅行のバスの中で…あなたと歌で楽しんでいた時あったでしょ?その途中で一回バスから降りて観光したじゃん…。
その時、誠子…加藤君と楽しそうにお土産見てたよね」
そんな聡美の話しに覚えがあった私は小さく何度も頷いた。
「私ね…バスで歌いながら誠子に言ったのよ。
私、加藤君が好きだから…
この後、加藤君と観光したいって…」
聡美は私を睨み付けて涙を流した。
私は…まったく知らなかった。
もしかしたらその時、啓子が寂しそうな様子でバスに乗っていたのを私は眺めていて、ちゃんと聞いていなかったのかもしれなかった。
「ごめんなさい…」
申し訳ない気持ちから私は思わず小声でそう告げた。
聡美は唇を噛み締めて私を睨み続けた。
「お前…認めたな。
なら、お仕置きね」
由美子は笑いながらそう言って私の頬を一発張った。
乾いた音が裏山に響いた。
身体の大きな由美子から張られた小柄な私は軽々とその場に倒れた。すると、由美子は倒れた私に馬乗りになって髪の毛を鷲掴みにすると前後左右に楽しそうに振り回した。私は声を上げることも出来ずに、ただ歯を食いしばって堪えた。「由美子。そんなの生温いよ。こいつ…裸にしてボコボコにしてさ。どうせ喋れないからバレないしさ。あ、なんだったら土に埋めちゃおうよ。ねぇ、聡美?」深雪は、燥ぎながらそう言うと聡美を見た。
すると聡美は静かに口を開いた。
「…殺っちゃおうよ」
気が付いた時は静寂に包まれた闇夜の中にいた。身体は縄跳びの紐のようなもので手足を縛られており、どうも横向きに倒れている身体の上に雑草や枯れ草が掛けられているようであった。身体のあちらこちらは骨でも折れているのか激痛が走り、瞼が腫れているようで少ししか開かない。口の中は血の味で特に唇が刺すように痛かった。
激しいリンチはどのくらい続いたのであろうか…。よくは覚えていない。
頭にちらついているのは、深雪が鋏で制服を切っているところ…
由美子が上から踏みつけているところ…
みんなでキャンプファイアでも楽しんでいるかのように私を囲んで棒のようなもので叩いているところ…
そして…
聡美が言っていた私が嫌われていた理由…
…そんなところであった。
…月夜が出ていた。
私は少ししか開かない瞼から溢れんばかりの涙を流してそれを眺めた。
すると微かに草木を踏みつけて歩く音が聞こえた。私は朦朧とする意識の中で『お迎え』が来たことを悟った。
静かな夜…
木々の心地好い香り…
綺麗な月明かり…。
私がいるこの地獄にも、心休まる空間がこうしてあったのだと今更気付いた。
そしてもし、この次に生まれ変わることが出来るならば、苦しい時にはこうして自然の中に身を置いてみたいものだと思った。
(お迎え…まだかな)
「お迎え…きたよ」
その声に私はゆっくりと瞼を開いた。
すると月明かりの前に立っていたのは啓子であった。
「啓子…」
私は呟いた。
「まぁまぁ…。随分と酷いことするわね」
啓子は呆れた様子でそう言うと、私の顔を優しく撫でた。
「痛い!」啓子の手が私の唇に触れた。
「あっ!ごめんごめん。唇に安全ピンが刺さってたの。…もう抜いたからね」啓子は慌てた様子も見せずに涼しげに微笑んで言った。
随分と暢気であった。そしてこれだけ暢気でいれるのはきっと何処かで私がリンチを受けているのを息を潜めて見ていて、彼女たちがいなくなったのを見計らって空々しく出てきたに違いないと思った。
「啓子…あなただって助けてはくれなかったじゃない」私はそう言って涙ながらに啓子を責めた。
すると啓子は自分の着ていた上着を私にそっとかけた。
「誠子ちゃん…。今頃じゃ遅い?」啓子は静かな口調でそう言った。私は啓子に腹が立った。「なら、今更来て…これで助けたとでも言うつもりなの?」私は嫌味混じりにそう尋ねた。
すると啓子は微笑んだ。
暫く沈黙が続いた。夜の静まり返った裏山に、救急車のサイレンのような音が微かに聞こえてきた。
「来たわ…。誠子ちゃんこれでもう大丈夫よ」啓子は笑顔でそう言った。そんな啓子の様子から、啓子が救急車を呼んだのだと思った。
「あなたが言う助けてくれる人というのは、後から救急車を呼んでくれる人のことなんだね」怒りが収まらない私はそう言って啓子を睨んだ。
すると啓子は微笑みを浮かべて月を見上げた。
「私は…誠子ちゃんに手を差しのべないわ。
それは早くここに来たとしても、今ここにいても…。
それでも私にとって誠子ちゃんは大事な友達だもん…。
困っていたら助けてあげるわ。
私ね…お喋り上手じゃないから、人といると落ち着かなくなっちゃうの。
そんな時、誠子ちゃんと楽しく絵を描いたりして仲良くなった。
家庭科の宿題でミシンが必要になってさ…。そこで誠子ちゃんが学校の人で初めて家に来てくれたんだ。
…誠子ちゃん覚えてる?
お話が出来ない誠子ちゃんと…
お話が下手な私…。
しばらく二人で黙っていてね。それでもその沈黙がまったく苦痛じゃなかったの。
私ね…沈黙でも耐えられる関係が友達だと思っているわ」
静かにそう話す啓子は、優しい月明かりに照らされていた。
「誠子ちゃん…。
助けるって何かをするとかじゃないの…。
苦しい時…
悲しい時…
困ってる時にね…
『そこに居てくれること』だと思うの。
だから私は…
今、あなたを助けているわ…」
次の日、私は病院のベッドの上で啓子が裏山で自殺をしたことを知った。
啓子は去年からあの連中に壮絶な虐めを受けており、それを苦にしてとのことであった。
昨夜、おそらく啓子は『死場所』を探していて偶然に私を見つけたのだと思った。
涙というのは悲しみが強いほど出ないものであることを、この時知った。
放心状態の私は徐に病室の窓から見える月を眺めた。
そしてまるで啓子のように優しく微笑んで見える夜月に向かって呟いた。
「私はこれからも啓子と居るよ。
だって友達だから…」
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