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二章 誠子
(わたしは、ようちえんにはいったときから、先生にも友だちにもお話しできません。お友だちと遊びたくてもあそぼうと言えなくて、一人ぼっちでさみしいときもありました。友だちがあそぼうとさそってくれても、いいよと言えません。みんなが楽しそうにお話ししてるのを聞いていて、わたしもみんなとお話ししたいなと思っています)
私はどうも『場面緘黙症』という病気らしい…。
医者の説明によれば『場面緘黙症』とは、家などではごく普通に話すことができるのに、幼稚園や学校のような特定の状況では、一か月以上声を出して話すことができないことが続く状態のことを言うらしい。そのメカニズムはまだ研究段階で、ひとまず発症要因として考えられていることは、不安になりやすい気質を持っており、そこに心理学的要因、社会や環境的要因など複合的な要因が影響しているのではないかということであった。
一般的には、入園や入学、転居や転校時などの環境の変化により、不安が高まって発症することが多く、学校での教師からの叱責やいじめがきっかけとなることもあるということだった。
これが私…誠子の一つの特徴なのであろう。
ただ、私をもっと正確に言えば、医者の説明にあった『家では普通』というのは該当はしない。むしろ親である彼女の前では特に状態は酷い。さらに環境的に言えば、人様が居る場所は、ほぼ全てこうなる。よって、もし私がこの病であるならば、私は重度の『場面緘黙症』ということになるのであろうか…。
思い起こせば私の口が利けなくなり始めたのは、弟が生まれた頃からであった。当時、私は五歳…。弟が出来たことでの私自身の変化は、心当たりとしてはないが、ただその頃から、彼女に対してのみ話をすることが出来なくなった。はっきりとした原因は分からないが、おそらく彼女を恐怖に思ってではないだろうか…。
弟が生まれたことによる彼女の様子には明らかな変化がみられた。いや、ただしくは変わったというよりも、私が単に幼すぎてわからなかっただけで、きっと前々から愛情の無い母親であったのかもしれない…そんな気もした。いずれにしても、赤子である弟への冷たく投げやりな接し方と、私に向ける苛立ったような表情を見てそうなったのではないかと思う。
彼女は、私と弟には一切の興味を示さなかった。赤子である弟へは、生きるために必要な最低限の措置のみを施し、『赤子の情緒』へは皆無であった。唯一、無理矢理にでも配慮として認めることが出来るとすれば『誠子を使う』というものであった。
「ねぇ、誠子。ほら…泣いてるから、ちょっと見てあげてよ」と、まぁ、このようなものである。
ちなみに彼女はこのような時、大抵はテレビを観ていた…。
私に対しては、彼女から話しかけてくる場合は殆どが頼み事…。私からの要求へは、ほぼ応えなかった。ある時、幼い私はテレビを観ている彼女の横で『美容師ごっこ』を楽しんでいた。当時、まだ話すことが出来ていた私は、おそらくは笑顔で、ぶつぶつと独り言を言いながら美容師役を演じていた。最初の方は、想像上の客の髪に、ブラシを入れたりして遊んでいたが、いつしか気分が高まって、横にいる彼女とも無性に遊びたくなり、彼女の髪にブラシを入れた。すると彼女は、相当に苛立った様子で私の手を素早く払い除けた。「あぁ~もう、鬱陶しい」そう言って私には目もくれずテレビを観ていた。この時のことは、私の中ではセピア色で色濃く残っており、おそらく『母』を『彼女』とした大きな要因になっているのだと思う。
しかし、そんな薄情な彼女でも、愛情を振る舞うことはあった。それは『彼』のことをしている時であった。彼とは、私の三歳上の兄のことである。彼に関してのことは異常なまでに情熱的であった。彼女にしてみたら初めての子ということもあって、私や弟とは思いの深さが違うのであろうが、その様子はあまりにも明白で、まるで幼い子が遊ぶ『玩具選び』のようであった。そんな様子は父にも当然に伝わるが、彼女の尻に敷かれているのか、彼女をそのことで叱責することは無かった。しかし、そんな私と弟を不憫には感じるのであろう父は、彼女の分まで愛情を注いでくれた。父は晩酌時には、よく私を胡座をかいてる膝の上に乗せては酒の肴を与えてくれた。私はそれが大好きで、夢中になって食べていると父は優しく微笑んだ。「誠子、そんなに食べたらお父さんの分がなくなるじゃないか」そう言って笑い声上げる息に混じる酒臭さが、私には何とも心地好いもので安心を覚えた。
父は和菓子職人であった。私の父方は代々続く和菓子の名家で、父もその後を継いだ。故に手先はとても器用で、料理の腕も相当なものであった。父はよく私に弁当を作ってくれた。おそらくこれも私たちを不憫に思っての行動の一環なのであろう。父が作る弁当には彩りがあり、味も然る事乍ら、目でも満足感や幸福感を味わうことが出来た。彼女が作る『のり弁』の一色と比べると、その差は歴然としていた。私は子供ながらに、父の持つ感性と手先の技に憧れを抱くと同時に、そんな魔法が使える父の血が私にも流れていることに言い知れぬ喜びを感じたのであった。
(わたしは、人が、こわいです。
わたしは、ことばを話せないから、みんな、つまらないみたいです。
だからわたしは、人が、きらいです。
おかあさんは、わたしにごはんを作ってくれます。おいしいお弁当も作ってくれます。そんなおかあさんが大好きです。でも、ときどき、おかあさんがこわいです。それは、すぐにおこるからです。きっと、わたしが話ができないダメな子だからいけないんです。
だからわたしは、おかあさんに、いつも、ごめんなさいと思っています)
これが私…誠子の一つの特徴なのであろう。
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