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三章 黒色菫
小学生も、もう終わりに近付いていたが、私には小学校の楽しかった思い出など殆んど無かった。というのは、最近まで小学校には通ってはいなかったからであった。私は『小児喘息』により、学校に通うことが出来ない状態になっていたのだ。
喘息が発症したのは、おそらく幼稚園に通いだした頃からだったと記憶している。その頃は、度々喘息の発作で夜に眠れないことがあったが、幼稚園の時間的制約が緩かったことや、幼稚園で求められている学習の難易度が低くかったこともあり、通うことには支障がでなかった。
しかし、小学校ともなると時間的制約が強固なものとなり、さらに求められている難易度が数段上がることから、一晩中発作で就寝することが出来ない私には、精神的にも肉体的にも、通うことが相当に厳しい状況となっていた。それでも小学校一年の一学期は、何とか通ってはみたが、発作が頻繁になる季節の変わり目の秋口からはパタリとなった。そんな私だから、一日中家で過ごすことが多くなった。父は当時、どういう訳か和菓子職人を辞め、夜間勤務付きの町工場での仕事に就いていた。その関係で週の三日は日中は家に居た。彼は普通に小学校へ通っており、よって、彼女と幼い弟と日中を過ごすことが日常的であった。私は、発作で夜中に寝ていない為に、日中の殆んどが、ようやくの眠りに就いている状態であった。稀に起きていたとしても、頭がしっかりとは回らずに、ただ茫然となっている状態となっていた。毎日がこんな感じということではないが、比較的にこの様なものであった。そのような中、彼女はそんな私の状況を見ても何をするわけでもなかった。
ある意味…流石であった。
「あら、喘息かい?」彼女は、こんな乾いた言葉を、軽い調子で投げかけてくる始末であった。私には彼女が冷たいだの、薄情だのを感じる余裕など全くなかった。ただひたすらに、苦しさと眠たさの無間地獄の中で、立派な長い白髭を貯えた神仏を思い浮かべて、窓から見える空に向かって救いを求めるのみであった。
調子の良い日には、父に買ってもらったスケッチブックと絵の具セットを持って、家の横にある野原へと向かった。そこで私は、大好きな花の絵を心行くまで描いた。この時だけは、様々ある日々の辛く嫌な感情から解放され、大好きな花たちと向き合いながら、自分の中にある『本心』に触れることが出来たのだ。ついでに言えば、口が利けない私の心の声となり、会話をすることも出来た。草花を、時に悲しく、時に幻想的に、そして時に私らしく、心に従って表現にすると、生きていることの実感が出来た。仕上がった絵は私の寝床である『押入れ』に持ち帰り、それを枕のすぐ横に立て掛けた。私は、絵が倒れないように静かに横になり、その絵をゆったりとした気分で眺めるのであった。すると、細やかではあるが、自分は決して他人と比べて劣っている訳ではないのだと感じて、自然と涙が頬をつたったのであった。
…私は絵を描くことが好きであった。
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