第一章 発端

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第一章 発端

「今日のご用件は何かな?」  大きな窓の前に立ち、ノックの音に振り返りもせず声をかけたのは、この部屋の主である探偵だ。  窓辺で来客の到来を確認していたのは間違いない。 「とりあえず一息つかせてくれないか。朝から大忙しで休む暇もなかったんだよ」  返事した大河内刑事も、そうしたあしらいには慣れたもので、さっさと来客用ソファに腰かけると、背広のポケットから煙草を取り出した。 「それは大変だったね、お疲れ様」  ねぎらいの言葉とは裏腹に、探偵間宮謙次(まみやけんじ)の口調は、心のこもらない平板な調子である。  間宮がまだ警察に奉職していた頃から、互いは親しい友人だ、と大河内は思っているのだが、間宮のほうはそれほどでもないらしい。 「間宮くん、さっきから熱心に外を眺めているが、何か面白いものでもあるのかね? もう見飽きた眺めだと思うのだが」  間宮がこの部屋を借りているビルヂングは、下町には珍しい三階建てで、坂の途中にある。天気の良い日には、はるか遠く瀬戸内の海も見える。  とにかく眺めは素晴らしいのだ。  かといって絶景も、見慣れればただの景色。ましてや、ここ神戸市灘区水道筋界隈は、絶景どころか、小店や民家が重なるように並んでいる普通の街だ。間宮が熱心に見ているのは、外の景色ではなく、何か他のものであろう。
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