第一章 発端

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「それで朝から騒がしかったのか。昨夜はベロナァル(睡眠薬)がよく効いてね。午前中はずっとぼんやりしてて、僕がはっきり目覚めたのは、つい今しがただからね」  間宮は納得、といった調子で言った。彼は不眠気味で、ずっと睡眠薬のお世話になっている。勤め人を辞めたのも、それが理由の一つ。決められた時間に出勤するのが至難の業だったのである。  二人が話している間、せっせと机の上を片付けていた様子の光子だったが、間宮がふと目をあげると、彼女と目が合った。すると、彼女は慌てて目をそらす。 「で、殺されたのは菓子屋の家族なのかい?」 「いや、少しややこしいのだが、その菓子屋の主人夫婦が二カ月ほど前から面倒みている爺さんだ。赤の他人」 「赤の他人?」 「その爺さんは、先だっての東京の大地震で関西に移住して来た((注釈))人だ。元々は関西出身で、長年横浜の仕立て屋(テーラー)で働いていたのだが、地震で何もかも無くしてね。身寄りもないし体調もすぐれないので、最近、親切な菓子屋夫婦が自宅の離れに住まわせて世話をするようになっていたのだ。福祉法人から、毎月補助金も出ていたようだが」 「そんな境遇の爺さんをなぜ? 犯人が本当に小達なら、まさか金品目当てではないだろうし」 「目撃者がいてね。小達が慌てて菓子屋から逃げてったのを見ている」 「小達は確保されているんだろ。なら、小達と目撃者双方に話を聞けば一件落着じゃないか。僕に何をしろと?」  間宮はそう言って肩をすくめた。 注釈)関東大震災後、関東方面から関西に移住してきた人は多く、一時期大阪市が日本一人口の多い都市となったのは、それが理由の一つとも言われています。
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