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黒い影と、なずなが走り出したのは多分同時だった。声の限りに叫べばよかったのかもしれない。でも、想定外のことが起きたら、人は声さえ出すことができない、ということをなずなはこの時学んだ、ことなど考えずにただただがむしゃらに走った。松丘ほど早くはないが、牧生よりは早いはずのなずなの足は、その時の彼女にできうる限りのスピードで前後に移動したが、それでもやはり若い大人の男の足には敵わない。
遠慮のない、強い力で肩をぎゅうっと掴まれて、そのまま後ろにぐんっと倒されて、口を押さえられた。視界がぐるんと半回転する。
真夏だというのに、その時はなぜか空が灰色に見えたことだけはよく覚えている。
マジか。あたし――死ぬのか!?
男の手の、汗の臭いが鼻を刺す。今どんな体勢でいるのか把握できない。
――てか、くさ!何これ!牧生と全然違う!もうやめてよ!ほんとやめてよ!あたし――こんなとこで死ぬわけにはいかないのよ!
「――こーんなとこで何してるんだ?」
なずなが思いっきり 刃物男の指に噛みついたのと、年配の男性とおぼしき声が聞こえたのが、ほとんど同時だった――かどうまでは、残念ながら覚えていない。
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